半田市長賞
「手紙が運んでくるもの」

常滑市立南陵中学校 3年

岩川 夕記

私が学校から帰って家のポストを開くと、そこには私の宝物が待っています。

私の趣味は文通です。さまざまな地域の人たちとの手紙のやりとりはとてもおもしろいものです。それに、その友達から得ることもとても多いのです。

私は友達との“ふるさと比べ”がとても好きです。例えば、沖縄の友達が桜が満開だと手紙に書いてくれた時、私はまだ蕾を眺めていました。私たちは修学旅行で東京に行くけれど、大阪の友達は長野に行くこと、普段私達は田舎に住んでいるから東京という“都会”に行くことが修学旅行の意味だと思いがちですが大阪の街中に住んでいる人たちにとっては“自然”とふれ合うことが修学旅行なのです。

ほかの地域の人と手紙のやりとりをしていると、初めて気付くこと、知ること、考えさせられることが沢山あるのです。

そして自分の視野の狭さに改めて気付くのです。

私自身が学校で学んだ全く同じ内容を東京の友達が学んでいるわけではなく、交通ルールや制服の着方全てが一緒ではないのです。春は活発に祭活動が行われる時季だと思っていたけれどそれも違いました。学校に行く時制服に名札は必ずつけるものだと思っていたけれどそれも違いました。

日々文面から受ける現状に私の常識はくつ返されるばかりです。

それに手紙は、私に大切なことを気付かせてくれました。それは、この私の住んでいる街がいかに素晴らしいかということです。

あり余ったぐらいに感じる緑や自然に私は興味がなく、街中への憧れの方が強かったです。こんな静かで平凡な場所から何も得られないと思っていました。

でも、他の地域の話を聞いて初めて私の住んでいるこの場所に誇りを持つようになりました。

いつの日だか私は東京の友達へ「私の住んでいる所は田んぼとか畑ばっかりで何もなくてつまらないんだ」と手紙に書きました。友達からの返事には「良いなぁ。羨ましい。」と、ありました。『羨ましい』何が羨ましいのか本当は分かっていました。でも認めたくなかったのです。自然の素晴らしさ、その美しさ、認めたら何だか格好悪い気がしたのです。

自分のふるさとを皮肉って、相手のふるさとに憧れを持って、もしかしたら友達もそうだったのかも知れません。

私は友達に、手紙に気付かされました。手紙は文面に沢山のものをつめて私の元へ届きます。県外の友達にはまだ一度も会ったことがありません。でも手紙を通して学校の友達と同じくらい仲よくなることができました。

私は大好きです。

自然に溢れたこのふるさとも、その素晴らしさを私自身に気付かせてくれた友達も、手紙も一生の宝物です。