ぼくの一番大切にしているものはトラネコのバロンくんです。バロンくんはまだ子ネコです。グルグルグルとのどをならしながらぼくの横で昼ねをしたり、れいぞう庫に行くだけなのにチョコチョコついてきたりしてバロンくんもぼくのことが大好きみたいです。 ・・・
三月十一日、私は東日本大震災で被災しました。住んでいた所は、岩手県大槌町です。私の家は、キレイなエメラルドグリーンの海が広がる自然ゆたかな町にありました。・・・
「お土地柄」が一番表れるといえば、やはり冠婚葬祭の時であろうか。私はこの夏、その一部分に触れる機会に恵まれた。・・・
一九四五年八月六日、広島に原爆が落とされた。その三日後の八月九日には、長崎にも落とされた。死者・行方不明者を合わせて、広島では十二万二千三百三十八人、長崎では七万三千八百八十四人の方が亡くなった。その他にも、激しい吐き気などの急性障害や、悪性貧血などの後遺症にかかった方もいた。・・・
僕達のクラスで教育実習を終えた教育実習生の先生は言った。「本当にみんなからたくさんのことを学べた。」と。真剣にそう話してくれた先生の言葉を疑いたくはなかった。しかしその時の僕にはどうしてもその言葉が信じられなかった。 ・・・
「これが本当に私たちの住んでいる日本なのか。」と目を疑った。平成二十三年、三月十一日。私はテレビの映像を見て衝撃を受けた。町は、津波によって何もかも流されてしまっていた。刻々と入ってくるニュースの度に被害は大きくなっていく。その様子を途方にくれて、ただ見ているだけだった。 ・・・
ぼくのおじいちゃんはとてもおもしろい人だ。体は太っていて、ぼくがほ育園のとき、ぼくの友だちから 「ジャイアン」 とよばれていた。 ・・・
私のおじいちゃんは、絵をかくのがとっても大好きでした。はがきの大きさから、つくえの大きさまで、いろんなしゅるいの大きさにかいていました。絵は、わたしがならっているバレエのいしょうを着た絵やおじいちゃんがさんぽのと中に見つけた風景など、家には、数えきれないほどの絵であふれています。でも、おじいちゃんはもういません。 ・・・
あの日私は日本はどうなってしまうのだろうと本気で思った。 三月十一日、東日本大震災。地震や津波で多くの尊い命が失われた。約一週間はテレビを見てもあのすさまじい津波の破壊力と対面するだけであった。悪夢のようだった。 ・・・