特別賞
「戦争遺跡を見て」

半田市立亀崎中学校 2年

橋本 篤典

僕は八月四日に「半田戦争遺跡見学会」に参加してきました。見学会では、中島飛行機製作所跡や防空壕、旧カブトビール工場“赤レンガ”の壁に残る銃弾の跡などを見学しました。また、半田空襲と戦争を記録する会の方のお話も聞きました。

見学会に参加して、半田市も戦争とは無縁でなかったということや、その跡が今でも市内に残っているということが分かりました。軍需工場があったために空襲を受けて、二百七十人以上もの人が亡くなっていることは初めて知り、驚きました。「赤レンガ」の壁には機銃掃射の跡が、料亭・望洲楼には軍人用の防空壕が残っていました。僕が通っている亀崎中がある場所には、中島飛行機の海軍整備兵の宿舎があったそうです。また、家の近くの一本木という所は激しい爆撃を受けたそうです。このように、自分が住んでいる市、さらに、家のすぐ近くも数十年前には戦争の舞台となっていたのです。そんなことは、思いもしなかったことでした。

また、戦争の被害は空襲など、攻撃されて受けたものだけではなかったということも初めて知りました。例えば東南海地震では、生産力を上げるため耐震性に劣っていた軍需工場で多くの動員学徒が亡くなりました。軍需工場のまわりでは、防火のために強制的に家を取り壊された人もいたそうです。

僕と同じ年の子供は、学徒動員によって工場で働かされ、授業を受けられませんでした。授業を受けられなかったことで、戦後大人になっても苦労し続けた人もいるそうです。また、空襲で家がつぶれ、家族を失ってしまった人もいました。学徒動員中の友達を亡くした人もいました。当時の中学生は、今からでは想像できないほど過酷で、死と隣り合わせの生活をしていたのです。

普段の生活では、戦争の面影は全く感じられません。でも、市内にはたくさんのつめ痕が残っていることが分かりました。それらは、僕達が戦争を想像する数少ない手掛かりです。僕は見学会に参加して、戦時中の半田について新たに知ったことがたくさんありました。今は日本は平和ですが、昔のことを調べれば、知らなかったことが分かると思います。僕は自分の住んでいる地域について知ろうとする必要があると思います。半田以外にも戦争を伝えるものはあるはずなので、多くの人がそれを知る努力をすることが大切だと思います。

過去の出来事を知れば、今の生活においての考えや行動を見直すきっかけにもなると思います。市内の遺跡の一つに、学徒動員中に東南海地震で亡くなった学徒を追悼する殉難学徒之像があります。像には「歴史はつくられるものであります。」という一文が刻まれています。平和な時代に生まれたのだから、僕は精一杯勉強して、新しい平和な歴史を創りたいです。