特別賞
「平和を願って」

半田市立亀崎中学校 2年

服部 華奈

私は広島へ行った。そこには、痛々しい原爆の跡が今だに残っていた。私はそこで、戦争もなく、うえをすることなく、平和に暮らせるありがたさを改めて感じることが出来た。

原爆ドーム。それは、ビルなどが建ち並ぶ町の中、堂々と、そしてひっそりと建っていた。目で見ている光景にとまどいを感じた。周囲の建物とのギャップがありすぎだ。また、通勤するサラリーマンたちが立ち止まらず、ドームの横をさっさと歩いていく様子が不思議に思えた。また、原爆資料館には実際に使われていた生々しい物が多く並んでいた。恐ろしすぎて言葉が出てこなかった。

さらに私は、実際に被爆した方のお話も聞いた。そのお話は、今では考えられないほどの想像を絶するものだった。それは、リアルな体験談で、幼い子供からお年よりまで、みんなが苦しんでいる情景が目に浮かんできた。私は、その頃の人々の思いやる気持ちに感動した。

その頃、日本はとても貧乏だった。原子爆弾はその日本に落ちた。広島市内は一瞬で闇の世界へとなっていった。みんな裸で叫びながら歩いていた。皮膚もはがれてしまった。おばあさんを背おってあげた。そしたら、おばあさんは、「ありがとう。私は幸せだ。」と言って息を引きとった。また、一人の少女は、「私の父さん母さんを見つけたら伝えてください。“私のことは心配しないで。生きて。”と。私は親不孝だ。今まで優しくしてくれてありがとう。お母さん、何も親にしてやれなかった私を、どうか許してください。」と泣きながら言った。そして最後に「お母さん」とさけび、息を引きとった。

今の私にこのようなことが言えるだろうか。きっと言えないと思う。親と子の愛の深さや、人への感謝の気持ちをけっして忘れてはならないと学んだ。そして家族に感謝し、命を大切にしようと強く思った。このお話で、私は人生観が変わった。だから、もっと多くの人に同じ思いになってもらえるよう、私も原爆の怖さと核時代の恐ろしさ、また昔の日本の人々の優しさを語り伝えていきたいと思う。それが、戦争時代を生きぬき、私たちへと命をつないでくれた約七十年前の日本の人々へ、今できる恩返しだと思う。

今、世界では原子力発電について問題になっている。この問題はメリットと共に、デメリットもあるため、難しい問題だ。しかし、原子力の核分裂によって起こるエネルギーにより、原子爆弾という危険な兵器もつくられてしまったということから、私は原子力発電は少し怖い。

世界では、まだまだ戦争がたえない。未来は誰にも予測することは出来ないが、これから先、時代と共に戦争の記憶がうすれて風化してしまわないよう、次の世代へと語りつがなければならない。

今年の八月六日の八時十五分、私は去年の私とは違う思いで手をあわせて、追悼した。