ぼくの弟は、内反足という持病があります。
生まれた時に、ペンギンが自分のたまごをあたためるような形で、生まれてきました。
足のうらが、うちがわにむいているという事です。今年で弟は二回目の手術です。五才で一回やっています。
弟は、ギプスが外れるまでの間は、一週間おきに、しずおかこども病院に通っています。弟は持病をよくしようとがんばっています。
弟の入院の間、ぼくは松任(お母さんのお里)へあずけられていました。
電話で、お母さんと連絡を、朝と夜に取っていました。その時の気持ちは、弟・光志朗がいなくてさびしく、お母さんがいなくて悲しく、お父さんは、一人でさびしいだろうなぁと思いました。
弟は家の中で、五才の時に買った台車で、あちこちにうでの力で動かして行きたい所へ行っています。
外では、車いすマークの駐車場に車をとめないといけません。
いちばんたいへんな所は図書館です。車いす駐車場その物が無いのです。ピアゴでは、ふつうに歩ける人がその駐車場にとめているのです。これに対してぼくはかなりいけない事だと思いました。
車いす駐車場にとめる意味は、入口(建物)に近く、よこはばが普通の駐車場より広く、ドアをかんぜんにひらいて車のすぐよこに車いすをおけるようになっています。
車いすで、べんりな事は、ずっとすわっていればいいことです。
ふべんなことは、かいだんしかない建物に入れないということと電車やバスに乗る時に、スロープがないと、乗れないということです。せまいところをとおりぬけできないのもふべんです。それで思った事は、自分の行きたい所があっても、せまい道などがあれば行けないというのが、大変だと思いました。
ぼくの弟に神様が、ちょっとしたミスをしただけで、たった一人にひどいえいきょうをもたらすのが「持病」だという事を、あらためて知りました。
ぼくの弟は、入院をしても、ぼくと別れながらも、治そうと強く決心しています。
弟はふべんなこともありながらも、がんばっています。
ぼくの弟は、ぼくの一番大切な命の次に大切な宝物だとぼくは思っています。