特別賞
「田んぼで深まる家族のきずな」

半田市立さくら小学校 5年

新美 陽彩にいみひいろ

「田んぼを見に行ってくる。」
と、父は私に言いました。

私の祖母は、一反の田んぼを所有しています。父や、父の兄であるおじさんたちと祖母で協力し合い、この一反の田んぼでお米を作っています。このお米は、私たち家族やいとこ家族が食べる分です。

父たちが田んぼを手伝い始めたのは、7年前からです。それまでは、祖父と祖母の2人で、お米を作っていました。

7年前、祖父はいつものように、
「行ってきます。」
と言い、朝から仕事にでかけました。その言葉が、祖父の最期の言葉となりました。その日の夜、祖父は急になくなってしまいました。とつ然のでき事でした。その時私は、まだ3さいだったので、あまりおぼえていません。

それから父たちは、祖父の代わりとなり、田んぼを手伝い始めました。

米という漢字は、八十八という字が組み合わさり、成り立っています。これは、お米が出きるまでに、88回もの手がかかるという意味があるそうです。今まで手伝った事のなかった父たちが、急に88回もの手がかかるといわれるお米作りをする事はとても大変でした。

最初の年は、いろいろな人から教えてもらいながら作りました。人の優しさや温かさを感じる事ができました。そして、その年にとれたお米の量は、とても多く、みんなおどろきました。祖父が応えんしてくれているのかなあと思いました。

それから1年たち、2年たち、7年たった今も、父たちはお米作りを続けています。

仕事をしながらなので、つかれて帰ってきても、田んぼのまわりの草かりや水の量を調整しに行ったりしています。

台風が過ぎ去ったあとは、ヒヤヒヤしながら、田んぼを見に行っています。台風で、かり取られたいねを干してある、はざがたおれてしまった年もありました。

年々、日本の田こう地はへり続けています。

お米作りはとても大変ですが、祖父が残してくれた田んぼで、これからもお米作りを続けていってほしいです。

私は、父たちが作ったお米が大好きです。ずっと食べていきたいです。

毎年、お米のしゅうかくが終わると、祖母が今年も一年おつかれさまという意味をこめて、私たち家族といとこ家族全員を食事に連れて行ってくれます。私はこの食事会を楽しみにしています。みんなと一しょに笑いながら食べるごはんは、とてもおいしいです。

祖父がなくなってさみしいけれど、そのかわりに、家族のきずなが深まったと思います。

これからも、この一反の田んぼを続けていく事と、田んぼがつないでくれた家族のきずなをずっと大切にしていきたいです。