半田市長賞
「大好きなおばあちゃんへ」

半田市立半田中学校 2年

高浪 愛子たかなみあいこ

今年の夏の初め、祖母が入院した。だから家の中がぐちゃぐちゃになった。

私の家は共働きで父と母は朝から夜遅くまで仕事のため、習い事の送り迎えや夜ご飯の支度、洗濯物をたたむことなどの家のことを祖母が助けてくれていた。

毎朝、隣の家から私達家族におはようの挨拶。夕方は私達姉弟が帰ってくるころにお菓子を用意し、おかえりと迎えてくれていた。

そんな毎日があたりまえになっていた。

祖母は自分の体が疲れている日でもこう言って休むこともなく私達家族を支えてくれていた。

「あなたのお父さん、お母さんはお仕事を頑張っているし、あなた達姉弟は勉強や習い事を頑張っているから、ばあちゃんのできることは何でもしてあげるわ。」

この言葉に甘えていた。

私は最近足を骨折し、自分の事で精一杯で祖母の体が悲鳴をあげていたことに気づかなかった。気づいていないふりをしていたかもしれない。

「ばあちゃん、少し休んでいいよ。私ができることは自分でやるから。」

どうしてこの言葉を言えなかったのだろう。言ってしまったら今まで祖母がやってくれていたことを自分でやらないといけなくなるかもという気持ちがあったのかもしれない。

また、祖母は私より六十歳も歳が上。でも一緒に買い物に行ったり、旅行したりしていたので、体力が違うことをそれほど気にせず生活をしていた。でも、どう考えてみてもその差は大きい。祖母は無理をしていることが多かったはず。

祖母が入院した当初は母が朝早く出勤して早く帰ってきたり、私達姉弟は習い事をお休みしたり、自分で行くなどして、祖母がいたときと同じように生活ができていた。

でも日が経つにつれて私達家族にも疲れがでてきた。

その時私はやっと気づいた。気づくのが遅すぎた。祖母はどんなに私達家族のためにいろいろなことをしてくれていたのか。

学校でお年寄りや体の不自由の人には思いやりの心で接したり、進んで助けてあげないといけないことを学んでいた。なのに逆に私が助けてもらってばかりいた。

今、私達姉弟は進んでお手伝いをするようになった。食事の支度やお掃除、お洗濯、アイロンがけなど。家の仕事はたくさんある。本当ならば今までもっとお手伝いや祖母を助けてこなければならなかったと思う。

「祖母孝行」私はこれからたくさんしていきたい。

もうすぐ祖母は退院してくる。私は祖母にこう言って声をかけよう。

「ばあちゃん、私ができることは何でもやるよ!今まで助けてもらった分、今度は私がばあちゃんのことを助けてあげるよ。だから無理しないでね。」