半田市長賞
「私の母」

半田市立半田中学校 1年

森下 百合亜もりした ゆりあ

明るくて、ノリが良く、面白くて、みんなを笑顔にさせてくれるお母さん。何か物を取ってもらったときも、遊びや習い事の送り迎えをしてもらったときも『ありがとう』が言えない自分と、悪い事をしてしまったときに『ごめんなさい』が言えない自分がいました。普段、心では思っていても、口には出せない『ありがとう』を、世界でたった一人のお母さんに向けて書いていきたいと思います。

私の母はフィリピン人です。母の実家はとても貧しく、母方の祖母が病気で、家事や看病などで暮らしがとても大変だったそうです。大好きな祖母の病気を治すために、日本にまで来てお金を貯め、祖母の病気を治そうと必死でした。残念ながら祖母は亡くなってしまいましたが、毎年毎年祖母の誕生日が来るとろうそくに火を灯してバースデーソングを歌っている姿を見て、家族想いなんだなと思いました。それに、フィリピンへ旅行に行く前に、
「みんなが喜ぶから!」
と、言いながらでかい段ボール箱に、フィリピンにいる家族、友達、いとこ、親戚のみんなのために、チョコレートやラーメンなどの食べ物や、服、文房具、おもちゃなどをパンパンにしきつめていて、やっぱり家族想いなんだなと思いました。また、日本のことをたくさん教えていたので、母は日本もフィリピンも大好きなんだなと思いました。いとこ達も楽しそうに遊んでくれたし、みんなが日本語であいさつをしてくれたのも、母がこっそりと教えていたと聞いて、なんだかとても嬉しく感じました。

だけど、『友達みんなのお母さんは日本人で、私のお母さんは、まだ日本語がペラペラではない外国人』ということが嫌で仕方がなくて、話しかけられても無視ばかりしていた時期がありました。ある日、母がリビングで私が母のことを無視ばかりすることについて父と話しながら泣いているのを見かけました。母はなにも悪いことをしていないのに、私が勝手に無視して傷つけていたのだと改めて気がつき、今まで無視し続けてきたことを深く後悔しました。その場であやまることもできず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
言葉で表せなかったから、態度で表そう。そう決めて、話しかけられたときは無視をせずに返事をしました。母は嬉しそうに笑ってくれて、なんだかスッキリしました。

あの出来事以来、母と電話をしたり、一緒に出かけると、友達に
「めっちゃ仲良いじゃん!」
と、言われてとっても嬉しかったです。

たとえお母さんが外国人だったとしても、みんな同じ人間なんだし、世界でたった一人しかいないから、大切にしていこうと思いました。お母さん、いつもありがとう。