特別賞
「臓器提供を知らないあなたへ」

半田市立青山中学校 3年

榎本 亜香えのもと あこ

 「自分が亡くなったとき、臓器提供したいなって考えているんだよね。」新しく作ったマイナンバーカードを片手に、父はそう切り出した。急にどうしたのだろう。不思議に思って見せてもらったカードには、「臓器提供意思」と小さく書かれていた。そもそも臓器提供とは何なのか。この疑問をきっかけに、私は臓器提供について調べ始めた。

 臓器提供とは、脳死後あるいは心臓が停止した死後に、自分の臓器を、病気や事故などで臓器の機能が低下してしまった人に提供することである。日本では、一九九七年に「臓器移植法」という法律が施行され、臓器提供が可能となった。現在、臓器提供は個人の意思で成り立っている。提供したいと考える人もいれば、したくないと考える人もいる。それぞれの意思が尊重されるため、提供は義務ではない。ここまで大まかではあるが、臓器提供について調べてみて、理解を深めることができた。そんな中、自分には何が出来るのだろうか、調べて終わりで良いのだろうか、という気持ちが芽生えはじめた。そこで、私なりに自分にできることを考えてみた。

 まずは、生きている幸せを感じること。臓器提供とは全く関係ないように思う人もいるかもしれない。しかし今回調べていく中で、提供された臓器の行方を追っていく途中、病気や怪我で、家族と食卓を囲めない人々が沢山いることを知った。私は今日まで、大きな病気や怪我ひとつすることなく、何不自由ない生活を送ることができている。だが、先程述べたように、生活に支障が出て、苦しく辛い日々を送る人も少なくはない。明日の心配をせず生きられていること、自分の大切な人と同じ時を過ごせていること。それらは全て「当たり前」ではないのである。もしかしたら明日、自分に病気が見つかるかもしれない。明日が来ないかもしれない。常に生と死は隣合わせであることを自覚して、毎日に感謝し、生きている喜びを感じることが、今私に出来る唯一のことではないか。

 さらに、臓器提供について考え、自分の意思を示すこと。私は将来、自分の死後、臓器提供をしたいと考えている。父と同じように、病気などで苦しんでいる人の役に立てるなら、という思いがあるからだ。人生にいつ、終止符が打たれるのかは誰にも分からない。だからこそ、生きている今、自分の意思を自分の大切な人に伝えておくことが、とても望ましいことなのではないかと私は考えている。

 臓器提供は、自分の死後のことで、なかなかイメージしづらく現実味がないと感じる人も、きっと多いことだろう。もちろん、私もそうであった。しかし、調べて考えていく中で、自分なりに臓器提供と向き合って得られる思いや意思に気づくことができた。だから、興味を持って考えてほしい。沢山の人にこの思いが、願いが、届きますように・・・。