日本福祉大学学長賞
「命のプロフェッショナル」

半田市立成岩中学校 1年

山崎 由依やまざき ゆい

 「お父さん、帰ってくるのが遅いよね。何かあったのかな?」七時過ぎには帰宅すると今朝、元気に話していた父だが四十分を過ぎても帰ってこない。「何度か電話をしてみたけれど電話に出ないの…。お仕事が長引いているのかな?」母と二人、珍しく連絡が取れない父に不安が募るばかりだった。数分後、父から電話があった。帰宅をしようと会社を出た所、急に心臓の鼓動が鋼を打つように強く速く、気分も優れないため何とか車に乗ったが、運転できずにいると話していた。父はもう少ししたら落ち着くだろうから、心配せずに待っていてとの事だった。弱弱しい父の声を初めて聞いたので、大丈夫かなと私は更に心細くなった。

 「ただいま。」電話を切ってから三十分を過ぎた頃、見るからに憔悴している父が帰ってきた。いつもはすぐに荷物を置きに二階にある書斎へ向かうのだが、今日は一階のリビングに荷物を降ろすとすぐに横たわってしまった。鼓動を図ると一分間に二百回近くもあり、横になっていても全く戻らない。話もできるし意識はしっかりしているが、このままの状態が続くのは身体に悪いと不安になり、母は救急センターに相談をした。父の症状を話すと「危険な状態だと思います。すぐに救急車を呼んで下さい。」と言われた。言われていても意識があるのにと母は混乱していたが、「自分で歩行をする事で症状を悪化させてしまうかもしれないので。」と教えてもらっていた。それからはとても速かった。一一九番をすると、もし父の意識がなくなったら心臓マッサージをする事、救急車は向かっているのであと何分で着くという事を分かりやすい言葉で話してくれていた。話している内にサイレンの音が大きくなり、家の前で停まった。インターフォンが鳴り、隊員の方が母に症状の確認をすると、素早く父を担架に乗せ搬送していった。父はその日の夜遅く、入院する事なく家に戻ってきた。今は通院しており、日常生活に支障ない。

 私は父と同じように、救急車で運ばれた方は何人いるか気になった。調べると令和元年の救急車の出動件数は全国で六百六十三万九千七百五十一件。その内、搬送人数は五百九十七万七千九百十三人。どちらも過去最多だそうだ。また搬送人数の一・三%の方が搬送先で亡くなっている事が分かった。多くの命が救われているのは、救急隊員の方々、医師看護師の方々の強い連携があるからだと感謝した。母から後日、救急車には心臓の専門医が乗って下さり、はしご車も出動していたと聞いた。私は命を救うため、不測の事態に備えて出動したのではないかと考えた。

 様々な事態を想定し的確な判断の上、最善の行動ができる人。それがプロだと思う。私も将来プロとして人の役に立ち、相手からも感謝されるような仕事に就きたいと強く思う。

「令和元年中の救急出動件数等(速報値)」の公表―総務省消防庁