特別賞
「限りある命を大切に」

東海市立加木屋中学校 3年

藤木 愛子ふじき あいこ

 私たちが生きている今も世界で誰かが死んでいる。それは、命に限りがあるからだ。

 みなさんは、命について考えたことはあるだろうか。私はある出来事をきっかけに、命の大切さについて考えた。

 その出来事とは、私が中学校三年生の六月。雨が強く降る日に起こった。母が家で倒れていたのだ。あまりに突然な事だったので私は、心臓がバクバクなり手が震え、動けなくなった。母はすぐに救急車で運ばれたが、三時間後には帰らぬ人となった。「お母さん。お母さん。」と声を出し、泣き叫んだ。その声が静かな病院で響き渡った。

 その数日後、学校が終わり誰もいない家に帰った。「ただいま。」と言っても誰も「おかえり。」とは言ってくれない。いつもなら母が言ってくれたのに。その時、あらためて実感した。もう母はいない。どこにもいないということを。まだやりたいことがあった。いっしょに話したいこともたくさんあった。しかし、それももう叶わない。

 生きてさえすればなんでも出来る。いっしょに笑い合うことも、話し合うことも、たわいもないことでけんかすることも・・・。しかし、死んでしまったらもう、そばに居ることも、「ありがとう。」と言うことすら出来なくなる。

 私は母に恥ずかしさから「ありがとう。」とあまり言わなかった。「今度でいいか。」という気持ちもあったからだろう。しかし、母にはもう「ありがとう。」と言うことは出来ない。

 人はいつ死ぬかなんてわからない。だからこそ自分の思ったことはその時に伝えなくてはならないと思う。二度と相手に伝わらなくなってしまうかもしれないから。

 今回の出来事で私は、母からとても大切な事をたくさん学んだ。

 私たち人間にとって一番大切なことは生きることだ。簡単に「死にたい。」と言う人もいる。しかし、どんなに辛いことがあっても前を向いて生きていくことだ。誰にも死を予測することは出来ない。明日、死んでしまうかもしれない。どれだけ生きようともがいたって結局いつかは死んでしまう。私だってみなさんだっていつ死が訪れてもおかしくない。それでも私たちは必死に生きてたった一つの限りある命を一分一秒後悔しないよう精一杯生きていかなくてはならない。

 母は二度と帰ってくることはない。しかし、私の思い出の中で生き続ける。だから、私はこれから母の分も大切な命を生きていきたいと思う。