日本福祉大学学長賞
「今、そこにある幸せ」

東浦町立北部中学校 2年

岡田 蒼空おかだ そら

 それは、静かに僕達に歩み寄り、そして突然、僕達の生活を一変させた。コロナ禍の始まりだ。

 臨時休校が決まった当時、僕は六年間通った小学校の卒業を一ヵ月後に控え、これから卒業式の練習も本格的に始まろうとしていた頃だった。突然休校が決まり、僕達はもちろん、先生達もとても慌てていた。
「こんな形で小学校生活が終わるのかな。」誰もが感じていた。学校が休みになる喜びよりも、不安な気持ちとさみしい気持ちでいっぱいになった。休校に入る前日、
「もしかしたら、卒業式ができないかもしれない。」
と、先生達が僕達だけの卒業式を開いてくれた。僕はとてもうれしかった。もしかしたら本当に今日が小学校生活最後の日になるかもしれない。まだ、ほとんど練習をしていなかったが、僕達は本番のつもりで、できる全ての力を出し、無事に卒業式を終えることができた。
「必ず、また本番の卒業式で会おう。」
そうみんなで約束をし、僕は六年間使った道具箱など、たくさんの荷物を一気に持ち、学校を後にした。

 そこからは、ひたすら自粛生活だ。夏休みでも冬休みでもないのに、ずっと家にいる生活。楽しい気分など全くなく、やる事がない生活に疲れを感じ始めた。本当だったら今頃は、友達や先生と小学校生活最後の思い出作りをしていたはずだ。そんな思いがずっと頭の中にあり、せめて卒業式だけは行ってほしいという気持ちでいっぱいだった。

 「卒業式は予定通り。」

 そう決まり、僕はとてもうれしかった。当日、学校に行くと、体育館はきれいに飾り付けられ、先生達が僕達の為に一生懸命準備をしてくれたのだと感じ、感謝の気持ちでいっぱいになった。卒業式は、ほぼ、いきなり本番に近かったが、みんなの息の合った歌声と別れの言葉。六年間の思い出が一気に頭の中に流れ無事に卒業式が行えたことに感謝した。

 「コロナさえなければ。」

 そんな気持ちは、 みんながもっているだろう。 僕達は卒業式を行うことができたが、卒業式が中止になってしまった人達もたくさんいる。 自粛生活が長引き、家族になかなか会えなくなった人もいる。人と人との接触を控え、密を避ける生活が続き、みんな疲れが出ているだろう。当たり前のことを当たり前にできる幸せ。このコロナ禍の中で、僕は改めてそれを感じた。学校に通い授業を受けたり、部活をしたり、友達と笑い合って会話をしたりすること。全ては、当たり前のことではなく、平和な日常が送れることに感謝するべきなのだ。

 コロナの流行はまだ続いている。この先、また休校になるかもしれない。しかし、どのような状況でも、日々の感謝を忘れず、今を大切にし、しっかりと今を生きていきたいと思う。