特別賞
「奇跡が詰まった『当たり前』」

美浜町立河和中学校2年

小林こばやし よつ   は

 私の生まれ育ったところは『田舎』という形容詞がぴったりの、海と緑に囲まれた小さなまちです。保育園と小学校は一学年一クラスしかなく、中学校もたった三クラスだけ。だから、私はずっと同じメンバーと一緒に大きくなってきました。

 私は、この田舎町が好きです。景色も、家族も、友達も、学校も、全部大好きです。でもその幸せがあまりにも「当たり前」すぎて、正直ありがたみを感じなくなっていました。  そんなある日、昔撮ったホームビデオを家族と見ていた時、たまたま五年生の学習発表会の映像が出てきました。たった三年前なのに、みんながとても幼い顔に見えて、最初はにやけながら見ていたのですが、劇が進むにつれ、なんだかその内容に引き込まれていきました。

 この時やった劇は、世界の子ども達の現実を知り、私達の「当たり前」、毎日学校に行ける事、安全な水が飲める事、親と一緒に暮らせる事などは、決して「当たり前」ではないんだということに気付いていく話でした。そして劇を見ていると、今の自分が昔の自分に問われている気がしてなりませんでした。

 毎日勉強して、ご飯を食べて、友達と遊んで、いつの間にか一日が終わっている。最近は「明日があるから、今日はいいや」と、毎日を「何となく」過ごしてきて、劇を通し、私は小学生の頃より毎日を大切に生きていなかったのかもしれない。そう思えてきました。

 「私達がここに住んでいなかったり、同じ年に産まれていなかったり、他にも色んな事が起きていなかったら、貴方はきっと友達には出会えていなかったんだよ。」
と、以前お母さんに言われたことがあります。その時、劇の事も踏まえ、私が「当たり前」だと思っていること、それは「当たり前」ではないんだと気がつきました。

 もし過去が少し違ったのなら、今という未来で家族にも、友達にも出会えていなかったのです。何十億人もいるこの世界の中でのたったの数人、それって本当に凄いこと、かっこよく言えば『奇跡』なんだと思います。私はそれをいつの間にか、当たり前のことなんだと認識してしまっていたのです。

 もう一つ、お母さんから聞いた話があります。「ありがたい」という言葉は、元々「有り難し」と書くのだそうです。あるのが当たり前ではないという意味です。今の私達の周りにある「普通」は実は「有り難し普通」なんだと教えてくれました。

 私は、何の支障もない日々が送れることが、何より幸せだと思います。でも、一分一秒が全て同じ日は決してありません。その唯一無二のこの日を、そして、それを共に作り上げてくれる周りの人達を、大切にすることが一番大事なんだと思いました。

 私はこれからもっと、当たり前じゃない、小さな奇跡が沢山集まった『今日』に、感謝ができる人になっていきたいです。