半田市長賞
「祭魂」

半田市立板山小学校6年

中川なかがわ いろ   は

 二〇二〇年からこれまでの間に、私たちの暮らし方はコロナウイルスにより大きく変わりました。出かけるときはマスクをつけて、消毒を持ち歩きました。学校生活では感せんリスクが高まるので歌を歌ったりリコーダーを吹いたりする音楽の授業がなくなりました。友達と向かい合って食べる給食は、机を離してもく食スタイルに変わりました。プールはなし、運動会は時間短縮、書ききれないほど沢山のことをガマンしあきらめてきました。

 私の住んでいる地域では毎年四月になるとお祭りが行われていました。山車の中に入って笛を吹いたりたいこをたたいたりしているお兄さんお姉さんにあこがれて、おはやしの練習にも参加しました。山車に入って演奏ができるのは四年生からだと知り、楽しみにしていました。しかし、私が四年生になったその年、コロナの流行でお祭りが中止になってしまいました。悲しかったけれど、「まだ来年があるから大丈夫だ」とその時は思いました。しかし、五年生になったその年もコロナで中止になりました。コロナがこんなに長く続くと思っていなかったのでとても残念な気持ちになりました。「来年もきっとお祭りは中止になるだろう。山車の中に入ってたいこをたたくことはできないだろう」と思いました。最後におはやしの練習をした二〇一九年のことを思い出すと涙が出てきそうになるので、お祭りのことを考えるのは一度やめることにしました。

 そして六年生になった今年のお祭りは、今までとは違う方法で行われました。山車の展示です。山車を引いて歩いたり、おはやしの演奏はなかったけれど今までの人生の中で一番と言って良いくらい近くで山車を見ることができました。山車に使われている木の一つ一つが太くて大きくてすごいなあと思いました。木彫りの飾りに昔話の桃太郎がかくれていることを教えてもらい、すみずみまで見ました。そして本当に桃太郎がいておどろきました。中でも一番うれしかったのは、山車の中に入れたことです。おはやしをするという夢は叶わなかったけれど、一般の人がふ段登れないような山車のテッペンに上がらせてもらいました。とてもうれしかったです。ここから見た景色は大人になっても忘れないと思います。今まであたり前のように過ごしてきた学校生活や地域の行事が、コロナを通じてあたり前ではなかったんだということを知ることができました。

 コロナで何もできなかった二年間は大きいとお父さんは言います。お祭りのように、上から下へ、人から人へ、という伝え方でつないできた伝統が今、失われようとしています。元にもどすまで何年もかかるかもしれません。なので私は積極的におはやしの練習に参加して、下の子どもたちに教える人になりたいです。そしてコロナ禍でもあきらめず、出来る方法を見つけ出す気持ちを大切にしていきたいと思います。