特別賞
「使えないおこづかい」

半田市立成岩中学校3年

原 朱莉さかきばら あかり

 私には、大好きな祖父がいました。でも、去年の九月に亡くなってしまいました。

 祖父は、とても優しくて明るい人でした。そして、誰よりも家族思いでした。母から聞いた話では、私が産まれる時、ずっと病院にいて私の誕生をとても喜んでくれたそうです。私が泣くとずっとだっこしてくれたり、ほぼ毎日会いに来てくれたそうです。私がかわいくて仕方なかったようで、携帯にはたくさんの私の写真が残っていました。

 母が働いていたので、一歳からほぼ毎日、祖父母と過ごしました。いろんなところに連れて行ってもらったり、色々な物を食べさせてもらったりしました。家族の誕生日や季節の行事では、必ずケーキを買ってきてお祝いをしてくれました。祖父母の家には、祖父と一緒に笑顔で写る私の写真がたくさん飾ってあります。

 祖父は若い頃からスポーツが得意で、その中でも野球が好きでした。以前は少年野球の監督をしていました。だから、弟が野球を始めた時、とても嬉しそうで、色々とアドバイスしたり、試合を見に行ったりしていました。弟のために、ティーバッティングの練習マシーンを作ってくれました。

 私が大きくなって、前ほど一緒に過ごせなくても、忙しい母の代わりに家の手伝いに来てくれて、私たちを見守り続けてくれました。母に内緒でおこづかいをくれたり、テストで悪い点をとっても、母に怒られても励ましたりしてくれて、いつも私の味方でいてくれました。

 祖父が体調を崩して入院したのは、去年の四月でした。近くの病院ではなく、少し遠い大きな病院に入院することになりました。コロナでお見舞いにも行けないと分かっていたのでとても寂しく感じました。

 祖父は、時々、許可をもらって家に戻って来ました。祖父に会えるのは嬉しかったけど、前よりもやせて、一人で歩けなかったり、すぐにベッドに戻りたがったりするのが気になりました。それでも、祖父は前のように私たちを笑わそうと面白いことをたくさんしようとしてくれました。

 八月下旬にも祖父が戻って来ました。私や妹も祖父に会いに行き、歩く手伝いや食事の手伝いをしました。祖父ともいっぱい話し、笑って過ごせました。きっと来月も帰ってこれると思ったけど、祖父は体調を崩して予定よりも早く病院に戻りました。

 九月に入り、祖父がもう長くないことを聞き特別に会わせてもらえることになりました。祖父はとてもやせていて、体中に管をつけていました。話すのも大変そうで、少ししか声も聞こえませんでした。でも私を見ると嬉しそうにしてくれて、おこづかいをくれました。

 その日の夜中の三時に祖父は亡くなりました。私の財布の中には今でも祖父にもらったお金が入っています。祖父との思い出とともにずっと大切にしたいと思っています。