特別賞
「「当たり前」なんてない。」

美浜町立河和中学校1年

吉永 心暖よしなが このん

 ママがコロナになった。当たり前だった生活が一変した。

 新型コロナウイルス感染症という病気が流行し始めてから、二年半以上が経ち、「今まで感染しなかったし、自分や自分の家族は大丈夫だろう。」と、どこか他人事のように考えている自分がいた。だから病院に行ったママから「陽性だった。」と聞いた時、「えっ?どうすればいいの?」とパニックになった。これからの生活を何も想像できないまま、地獄の十日間が幕を開けた。

 ママを寝室に隔離し、ママにほとんど会えなくなった。

 ママの二の腕を触ることが精神安定剤だった五歳の妹は、そのストレスのせいなのか不安定になり、すぐ泣くようになった。私はそんな妹をどうにかなだめようと一日中つきっきりで遊んで気を紛らわせた。パパはパパなりに家事をがんばってくれていたけど、食事に関しては、「あぁ、ママのご飯が食べたい。」と心底思ってしまった。その日の夜中、ママの事を考えていた。中学生になって、じゅくや習い事を始め、家にいる時間が少なくなった。家にいても、友達とラインしたり、ケイタイを見たりして、ママが話しかけてきても、適当な返事ばかりしていた。すぐに「うるさいな。うっとうしいな。」と思ってしまった。ふと「もしママがこのままコロナで死んじゃったら・・・・・・。」そう脳裏に浮かんで、すぐ消した。とてもこわくなった。

 新型コロナウイルス感染症は、私たちからいろんな「当たり前」を奪った。学校に行くこと。小五でキャンプ、小六で修学旅行。音楽で歌を歌うこと。運動会で声をあげて応援すること・・・・・・。代わりに、マスクをすること、消毒をすること、キョリをとることが私たちの「当たり前」になった。

 当たり前が変わる?当たり前って何なんだろう?と疑問がわいた。今ある「当たり前」はすべて否定できるものばかりだった。家があって当たり前?いや、パパやママががんばって働いたからだ。学校に行くのは当たり前?いや、また休校になるかもしれない。明日生きているのは当たり前?いや、病気や事故、災害で死んでしまうかもしれない・・・・・・。当たり前なんて、ないのかもしれないと思った。

 今、目の前にママがいる。いつものようにキッチンに立って、ご飯を作ってくれている。私はママを見ながら、この作文を書いている。私はバカだから、きっとすぐにまた当たり前だと思ってしまうかもしれない。でも今は、この幸せをかみしめようと思う。