特別賞
「一人じゃないよ」

大府市立大府中学校2年

白石しらいし 大和やまと

 今の僕を見て、じっと席に座っていられない手のかかる子だったとは皆思わないだろう。

 母から聞いた話だが、一歳児検診の時に周りにいる子とちょっと違うねとなり、専門の人に相談をしたり療育を受けたそうだ。

 母は本当は幼稚園に入れたくてプレスクールに通ったが、僕が勝手に教室から飛び出してしまったり先生の言うことを守れず困らせてばっかりだったから、園長先生から、
「うちの園ではお子さんを入園させることは出来ません。他を探して下さい」
と言われてしまい、わずか四ヶ月で退園することになった。もちろんその時の事は僕は知らないが、母は今でも鮮明に覚えていて園長先生に退園を言い渡された帰り道に悔しくて悲しくてどうにも我慢が出来なくて道の真ん中で泣いてしまったそうだ。僕を抱きしめながら「ごめんね、ごめんね」と泣いた事を忘れることが今も出来ないでいるという。

 それから、僕に合う保育園を紹介してもらい、週に一度の親子療育をしながら保育園に行くこととなったのである。

 もちろん保育園でもじっと席に座っていられなくて、蝶やトンボを見つけたら園庭に出て気の済むまで外にいたという。

 僕担当の先生がずっとそばにいて、お友達とのやり取りの仲介をしてくれたり、いつでもどこでも先生が一緒にいた。

 そんな僕だから、小学校で支援学級に入ると座っていた事に両親も先生たちもビックリしていた。

 勉強は僕のペースに合わせて、ゆっくり少しずつ。だから同級生と一緒に勉強することは難しいけど、体育とかは一緒にやれた。

 中学に入学するにあたり、通常級に行くか支援級に行くかものすごく迷った。両親や先生達も、僕に合うのはどっちだろうかとたくさん考えてくれて、僕がみんなと頑張りたいと言った事で、通常級に入ることになった。

 授業はものすごくスピードが早くて、正直何をやっているのか分からないまま終わってしまうこともある。中二になって進路や受験のことを言われるけどピンとこない。

 最後に、僕の幼少期からの経験や見聞きしたことから思うことは、個々の特性や性格に合わせた学校や環境があったら生きやすいのになと思う。同じようにやれないのはダメだというのは生きづらい。みんなと同じようにやりたくてもやれない、その子の精一杯に寄り添ってくれる先生が増えたらいいのにと思う。

 そんな未来が来ることを僕は願っている。