特別賞
「思いやりと絆と命」

半田市立亀崎中学校 1年

石川まこ

「これが本当に私たちの住んでいる日本なのか。」と目を疑った。平成二十三年、三月十一日。私はテレビの映像を見て衝撃を受けた。町は、津波によって何もかも流されてしまっていた。刻々と入ってくるニュースの度に被害は大きくなっていく。その様子を途方にくれて、ただ見ているだけだった。

しかし、震災から数週間後、ある新聞記事に目が止まった。その記事には、震災の時のエピソードがいくつか紹介されていた。

その中の一つは、子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジをみて考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れ、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた「ありがとうございます」という声が、震えてました。

もう一つ。ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人たちが寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。

そして記事にはこうつけ加えてあった。東日本大震災はおびただしいものを奪ったが、日本の人たちから思いやりの心までは奪えなかったと。

その後のニュースでも、このような状況で外国なら暴動が起きても不思議ではないが、東北の人たちは、我慢強く、秩序も保たれていると知らせていた。

私はこれらのニュースを読んだり聞いたりして、「まだまだ日本も捨てたものではない。必ずやり直せる。」と元気をもらった。そして、日本人を誇らしく思った。こうした日本の良いところをしっかりと受け継いでいかなければならないと決意した。

私の住んでいる所も、海から比較的近く標高も低い。だから他人事とは思えないのである。震災以来、家族で何度も大地震が起きた時の避難方法や避難場所を真剣に話し合ってきた。家にいる場合、学校にいる場合等いろいろな状況を想定した。そして母は、 「絶対に生きるんだよ。」 といつも言っている。こうした話し合いを通して家族の絆が深まったような気がする。家族の絆がやがて、近所、地域ともつながり、日本全体につながれば、もっと心豊かな国になるのではないだろうか。

最後に、震災を通して、命の大切さを痛感した。命があり、何不自由なく暮らせることに感謝したい。震災で亡くなられた方は、さぞかし無念だったであろう。もっとやりたいことがいっぱいあったであろう。私たちは、授かった命に感謝し、一日一日を大切にし、自分らしく精一杯生きていかなければならない。特に今の私がすべきことは、自分の目標(夢)に向かって努力していくことだと思う。

未来を創っていくのは、私たちである。