特別賞
「おじいちゃんがんばってね」

武豊町立緑丘小学校 3年

白井 哲平

ぼくのおじいちゃんはとてもおもしろい人だ。体は太っていて、ぼくがほ育園のとき、ぼくの友だちから
「ジャイアン」
とよばれていた。

おじいちゃんはある日ぼくにかけっこをしようとさそってきた。
「じいさんは走るのがはやいぞ。」
と自しんまんまんに言ったが、走るとすぐ
「はぁはぁ。」
と息をきらしていた。ぼくはそのたびに大わらいしていた。

おじいちゃんは妹たちのままごとにもさんかして、
「ごちそうさまでした。」
と大きな体で小さなままごとに入り、妹たちのしゃべり方に合わせて言っているのが、またまたぼくはおもしろかった。

おじいちゃんは、おもちゃや家でこわれたものをすぐに直してくれた。木でおもちゃも作ってくれた。だから妹たちはおもちゃがこわれると、すぐにおじいちゃんに
「直して。」
と言っていた。

ぼくのお父さんとお母さんははたらいているので、ぼくは一才のときから昼間はおじいちゃんおばあちゃんの家ですごした。ほ育園のおくりむかえも、小学生になってぼくの帰りをぼくの家に来て待っていてくれたのは、おじいちゃんとおばあちゃんだった。ぼくにはいつもおじいちゃんおばあちゃんがついていてくれた。

今年五月のある日、今までで一番かなしい出来事がおこった。おじいちゃんがくま本にりょ行中たおれたのだ。おじいちゃんはとても楽しみにしていたりょ行だった。行った二日目のことだった。

ぼくたち家族とおばあちゃんでくま本に行った。おじいちゃんは、心ぞうが悪くなり、のうこうそくというびょう気になったそうだ。そのびょう気のせいで、左の手足は動かなくなってしまった。

くま本の帰りのひ行きの中で、ぼくとお母さん、下の妹はずっと泣いていた。おばあちゃんはかんびょうのためくま本に残ったので、その日から、おじいちゃんおばあちゃんのいない生活になった。

ぼくは学校から帰ったら一人でるす番をしたり、自転車で一人で習い事へ行ったりする。妹たちは、朝早くから夕方おそくまでほ育園ですごすことになった。

あたり前の毎日が、あたり前でなくなり、今までおじいちゃんおばあちゃんがしてくれたことにぼくはとても感しゃしている。

この夏休み中、おじいちゃんはあい知のびょういんに転いんすることができた。びょう気になる前まで、ぼくたちのめんどうをみてくれたり、あそんでくれたりしたおもしろいおじいちゃん。これからは、ぼくがおじいちゃんをおうえんするよ。早くよくなってね。