日本福祉大学学長賞
「平成三十年七月豪雨から学んだこと~今の私ができること~」

知多市立知多中学校 3年

浅井 さらあさい   

深いため息が聞こえました。

私は接骨院の椅子に座り、テレビに映る映像を見ていました。私の周りに居合わせた、おじさんやおばさんも本を読む手を止めて、見入っていました。

それは、画面の中全てが土砂で覆われ、道路脇には水が流れ、日本家屋の立派な太い柱が無残にも横倒しになっていました。その横で男の人が呆然と座っていました。入籍をしてまだ一か月で家が土砂に埋まり、
「妻と子どもたちがこの家の中に居たんです。まだ生きているんじゃないかと、毎日何度も電話をしてるんですが出てくれません。」
と、携帯電話を大切に持ち話していました。次の場面では、奥様のご遺体がブルーシートに包まれ運ばれていき、男の人が何度も何度も合掌をし、遺体を見送っていました。

接骨院の待合室は、まるで時間が止まったかのように、テレビの音だけで、誰も動かず、息すらしてはいけない、そんな雰囲気になりました。そして映像が切り替わった瞬間、私と、周りの人たちの胸から、深い重いため息が出ました。現実に戻った瞬間のようでした。

記憶にも新しい『平成三十年七月豪雨』西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し甚大な災害となり、多くの命が失われました。

日本は災害の多い国だと思います。地震と津波。台風と大雨。そして気温上昇と……。今回の豪雨でも、人間は自然災害に抗えないのが現状だと思い知らされました。

では、「私たちは、この経験を元に何が出来ますか?」
 私たちに出来たこと。それは
「うちは災害の時ってどこに避難するの?」
「うちは非常用の食糧ってあるの?」
と聞くこと。そして、
「助けに行くことができない分、義援金を募金しようね。」
と話すことではないでしょうか。

そして、私たち子どもが率先して防災意識を高めることで、家族の関心や意識も変わると思います。

今回の豪雨では、行政の声かけに頼らず、自分の判断で周りに声を掛けて避難することが、命を助ける境目にもなりました。

愛する家族を守るのは誰ですか。それは、私たちです。

まずは、すぐに出来ることとして、自分用の避難用具を準備して、枕元に置こうと思います。そして、もしも災害にあった時には、地域の一員として、声を掛け合い、助け合いたいです。その為には、私たちが生き抜いてこそ、人の為に役立てるのです。

いざという時を生き抜く為に、少しでも災害に立ち向かえるように、
「あなたはどこに避難しますか?」
「災害用の避難用具や防災グッズは用意してありますか?」