救援活動に関わる報告・提案・メッセージ

日本福祉大学同窓会にお寄せいただきました同窓生皆さんからの活動報告やメッセージを紹介しています。
(現在も活動報告や提案・提言、メッセージなどを受け付けております)

救援についての提案・提言

救援活動に関する同窓生の皆さんからのご提案などを掲載しています。
お寄せいただいた情報・メッセージを紹介しています。

私の実家は岩手県陸前高田市にあります。甚大な被害の中、母は無事でした。しかし、伯母をはじめ親戚数名が亡くなりました。家や職を失った者もおります。全国の皆様のご協力もあり、街は少しづつ片付いてきています。が、未だ手付かずの所が多い状況です。また、在宅避難者への物資供給も不足しており、息の長い支援をお願いしたいと思います。
<青森県在住>
福島の原発事故は、青森県も六ヶ所村、東海村等抱え、人事ではない。これからの日本のエネルギーについて考えなければならない。また、国の対応はもっと被災者の事を考え迅速に対応してほしい。
<青森県在住>
岩手県社協災害ボランティア担当として、被災地社協、ボランティアセンター支援を行っています。当県は東海ブロック社会協議会に応援を受けていて、日本福祉大学を卒業された方々にもたくさん派遣応援を頂いています。学生、団体、まだまだボランティアも必要です。各ボランティアセンターとも受け入れを行っていますので、よろしくお願いします。<岩手県在住>
地方自治体(県・市町村)に自由になるお金を(国が)渡すことが一番求められています。
<岩手県在住>
岩手県ですが、内陸部に位置するため被害はありませんでした。被災された方々が一日も早く生活を立て直されることを願わずにいられません。福祉的立場から、自分に何ができるのか考えています。個人では限界があるので、施策として復興を、とも思います。
<岩手県在住>
地震・津波による破壊。その上に原発による終わりのない被害で、日本中が大変困難な時代になっています。地域が再生され、復興、再生可能な自然エネルギー政策への転換へ、道のりを困難ですが、一人一人の力を結集していかなければならないですね。
<岩手県在住>
ご心配有難うございます。奥州市は内陸で甚大な被害は免れました。親戚や知人など死亡行方不明がおり、また、余震で心安らぎません。日本福祉大学の同級生から、一様の励まし援助受け、絆を再確認しました。感謝しています。人が人として生きるための「呼びかけ支援ではない何か」・「今すぐ支援できるもの」を考え、悩んでいます。
<岩手県在住>
直接被災した地域ばかりではなく、その周辺に所在する社会福祉施設などにも人的支援が必要ではないかと感じております。
<岩手県在住>
特別支援学校の勤務です。生徒たちへの震災後の心のケアの難しさを感じています。日本福祉大学に心理の先生がおられると思います。被災地の子どもたちの心のケアをお願いできればと思います。
<岩手県在住>
当方は被災はなかったものの、被災地の状況を見るたびに毎日心が痛みます。ボランティアをしたいと考えましたが、一人で行動にするには大変難しく感じました。交通手段や宿泊場所などの体制を確認できればと思う次第です。これからもずっと支援をお願いします。
<岩手県在住>
家族、自宅はほとんど被害はありません。地域は、がれきの山で街並は壊滅的な被害です。このような時の障害児(者)老人への支援について整理し、まとめて今後に活かして下さることを願います。
<岩手県在住>
沿岸部の被害に比べたら何ともないと言っていいと思います。同窓会からの御見舞有難うございます。募金や救援活動など目に見える形ではなくても節電などへの協力を是非にもお願いしたいと考えています。
<岩手県在住>
父と妻が亡くなりました。救援活動についてですが、第一次物資については十分です。これからは精神的なケア等の支援が必要だと思います。
<岩手県在住>
自宅は大丈夫でした。しかし、納屋等の地盤沈下あり。修復が必要かと思われます。嫁さんの実家、大槌は津波で流され、只今、弟と母親が遠野で避難生活。元にはもどれず。行政の方針を待っています。仕事は失いました。息子は福島の原発でいつどうなるか。ボランティアはまだまだ必要の様相です。
<岩手県在住>
自分自身の周辺は、幸いなことに大きな被害はありませんでした。震災翌日から、職場での医療活動で大変な日々を過ごしました。仙台市内はほとんど震災以前と同様で日常を取り戻しております。県内のあちらこちらでは支援の力がまだまだ求められています。母校の関係者の皆さんのお力も大いに期待したいです。“日本福祉大学”らしい支援のあり方を是非ご検討下さい。
<宮城県在住>
大きな被害は受けませんでしたが、ライフラインは断たれたため、ガスが復旧した3月末までの間、妻子は山形にある妻の実家に避難していました。新聞社スポーツ部所属の自分は出社はしましたが、取材対象のスポーツイベントが軒並み中止になり、しばらくは社内の片付けと被災地支援に当たりました。現在はすべて平穏に戻り、本来担当のプロ野球取材を行っています。要望ですが、東北・太平洋沿岸部以外は安全です。復興のためにもぜひ観光をどうぞ。
<宮城県在住>
被災地の社会福祉施設の被害状況一覧が、どこでも作成されていない。福祉を中心とする動きがバラバラと思います。また、障害者や老人など、社会的弱者の状況把握もどこが主体で把握しているかが不明のように思います。NPOやボランティアなど、その活動についても多種多様な状況で責任主体がわかりにくい状況です。
<宮城県在住>
当日(3月11日)は仕事中でした。社会福祉法人(障害者の通所施設)内施設で、利用者の方と夜遅くまで施設で過ごしました。場所が、若林区荒浜より5キロの場所で1キロ手前まで津波がきていたことを数日後に知りました。情報少なく、水、電気、食糧の確保と利用者宅の安否確認の毎日でした。親戚が石巻にいるので、食糧を運んだり、灯油を運んだりということが必要でした。何名か津波の被害に遭いました。県内は、火葬する場もなく、30日まで県外で火葬するという状況(火葬できればよかったという感じです)です。現在はだいぶ普通の生活が続いていますが、道路に段差があったりという環境。ただ、海岸側はにおいがすごく、ここ1か月程、私は行っておりません。県内の県人会の皆様の情報がありましたら、お知らせください。よろしくお願い致します。
<宮城県在住>
自宅は大丈夫でした。福島伊達郡の実家はほぼ全壊で驚いてしまいました。やはり放射能が心配で、洗濯物が干せない等あるようです。震災3か月目でまだ復興が進んでいない所はあります。引き続きご支援お願いします。
<宮城県在住>
近所で室内損壊、マンションが住めない状況等、マスコミでは報道されない被害があっちこっちにあります。政治の根本を見直し、福祉に軸足を移し憲法の基本的人権、人間の尊厳を守り抜く政治に向かう、転機にしたいですね。
<宮城県在住>
今回の震災では、全国の方々や台湾はじめ世界の方々から支援を頂きありがたく感謝しております。100年に一度くらいの災害と言われおり、その被害は2か月経っても(少しは片付いてきましたが)まだまだの状態です。近くには女川原発もあり、今回は安全に停止しております。本当に紙一重でした。また、特別立法とか緊急政策とかで住民の不安を早く取り除いてほしいと思います。
<宮城県在住>
自宅近くまで津波がきました。しかし、無事です。全国から多くの支援を頂き感謝します。復興には多くの困難があり、大変です。今後ともご支援をよろしくお願いします。
<宮城県在住>
震災後、停電等で携帯、パソコンは全て役立ちませんでした。日々の生活に追われ、またそれらを活用する時間すら確保できないのが現実でした。改めて、情報伝達というものの基本を考えることが必要かと思いました。実際、貼紙や伝言しか役立ちません。方法と情報を提供する役割の再確認等再考することは多いのではないでしょうか。「ガンバレ!」って、一体何をがんばればいいのでしょうか。
<宮城県在住>
幸いなる事に大したことなく過ごしております。この度の震災は東日本全域にわたるものであり、これまで築きあげてきた社会福祉の地域全体のシステムにも大きな被害をもたらしました。その回復は息の長い対応を要する状況にあると思います。大学同窓会が提携し、同地域の要支援者、福祉対象者を支援するシステム的活動が必要であるように思っています。ご検討の上実施の方向を模索してください。
<秋田県在住>
日本の現状、被災地の状況を真実の眼で見るのであれば、国民の一人一人が真剣に国策を考えなければ日本の未来の発展は考えなければ日本の未来の発展は考えられないと思います。災害に備え、経済、福祉、防衛さらに外交面で日本の地位を確立する必要を大学でこそ若き青年に教育して貰いたいと心から願います。
<秋田県在住>
3月中に山形県内在住の同窓会会員へは文書にて安否確認をしており、被災の報告は受けておりません。ご安心ください。但し、宮城・福島・岩手など隣県の同窓会への支援などについての連絡を取っておらず、大変申し訳なくおもっています。ブロックとしての支援体制の在り方を検討していく必要があると感じています。ブロック内地域同窓会の状況は山形最上オフィスよりお聞きしました。
<山形県在住>
福祉施設や社会福祉士会、他の支援団体やボランティアで日本福祉大学の卒業生と会うことがありました。他、被災地の状況を帰ったら伝えてほしいという現地の方の想いや言葉を感じ、聞いてきました。
<山形県在住>
日本障害フォーラム(JDF)の支援活動に参加させてもらっています。個人情報保護の壁で安否確認するできない地域もあります。ぜひ、災害時における個人情報開示について国へ要望をお願いしたいと思います。
<山形県在住>
時々、救援・復旧業務に従事しています。山形県内は大きな被害はなかったものの、避難者の受入などもあり。現在は失業者も含めた市民生活への影響があります。多くのボランティアが活動していますが、長期に亘る支援が必要とされ、ボランティアのモチベーションなど心のケアが必要になってくると思います。専門職とされる私達も気持ちが落ち着かなかったり、現状の業務との兼ね合いがうまくいかないことがあります。
<山形県在住>
「災害に負けず頑張ろう福島!」が地方紙福島民友のキャッチフレーズです。福島市内では低放射線量被ばくの問題で学校や保育園が大変困っています。皆さん人事ではないですよ!原発から自然エネルギーに変える動きを創りましょう!
<福島県在住>
同窓会からハガキありがとうございます。ご存知の通り東北(岩手、宮城、福島)は今もなお震災の日から、その修復のために生活を少しでも取り戻そうとしています。しかし、その傷跡は深いように思います。私は信州で生まれ、夫の故郷福島県に来て27年になります。誰もが、ふるさとは大切で代替できるものでもありません。第二の故郷となった私にとっての福島県は震災に加えて原発、風評被害、一日のはじめにテレビをみると福島の原発のニュースがまず流れ、その内容をみると自分のメンタル面もなかなか上げることができません。私は通所の知的障害者施設で働いています。施設長が、原発の影響を受けた近くの施設利用者、在宅の利用者の実態を調べました。利用者の実態はひどく県外に避難されて避難先で不慮の事故に遭われた方、県外に施設毎避難したが、職員の家庭生活ができなくなり退職された方などがあります。また、避難生活が長引けば長引くほど利用者、職員ともに厳しい状況とのことでした。今の東北及び福島県がおかれている状況。嘆いていても前に進むこと。利用者さんの安全を守り、一日一日のできことが当たり前だと思わず、メンタルをできるだけ維持しなければと思い生活しています。東北は今頑張っています。風評被害も含め継続的に応援をお願いします。
<福島県在住>
風評被害が今もなお続いています。原発の状況は心配しています。同時に、県全体が復旧にむけて頑張っているのでどのような形でも良いのでご協力して頂きたいと思います。
<福島県在住>
福島県郡山市に住んでおります。余震に怯える毎日です。地震を含めて何よりも怖いのは目に見えない放射線の影響です。仕事や学校は再開されています。しかし、窓を開けられない、こどもたちを外で安心して遊ばせることができない、マスクは欠かせない、雨になるべく濡れないよう神経を使う、など様々な問題があります。これが果たして普通の生活と言えるでしょうか?子供たちへの悪影響を考えると不安でたまらくなり、心配は尽きません。こどもたちの安全を最優先に考えて国には対応してほしいです。事態の一日も早い収束を切に願っています。
<福島県在住>
生活再建には年単位の時間を要すると思います。長いスパンで何ができるのかを考えていこうと思います。
<福島県在住>
会津地方は地震による大きな被害も少ない、通常通りの生活・仕事ができております。原発事故は未だ収束の見通しも立たず、未来への向けての不安も募りますが、一歩ずつ前へ進んで行こうと思います。介護保険サービスに従事しており、このような事態に弱い制度だったと実感しています。憤りする覚えるこの二ヶ月間でした。
<福島県在住>
私の方は特に大きな被害もなく、お陰様で無事です。救援物資も大丈夫です。被害を受けられている他の方へお願いします。原発の問題が収まってくれることを祈るばかりです。
<福島県在住>
返信が遅くなり申し訳ございません。今、福島県は原発事故により大変な状況になっております。全国の皆様にはどの情報が正しいかを判断して行動をお願いしたいと存じます。
<福島県在住>
国や東京電力には福島第一原子力発電所の情報をきちんと開示してもらいたい。すべての国民が安全で生活を営めるように対策を講じてほしい。
<茨城県在住>
茨木県北部も甚大な被害を受けています。報道されてもおらず、救援も届き難い状態でした。継年の変化に応じた支援の柔軟な対応を福祉専門の立場からお願いします。
<茨城県在住>
障害のある方へのサポートをする事業所を運営しています。被災地の高齢者や障害のある方の施設の状況をテレビなどで見ると、国の対応の不十分な点が目につき、もう少し何とかできないものかと感じてしまいます。
<茨城県在住>
震災前の3月1日、次男の高校の卒業式で聞いた校長先生からの「人を支え、人から支えられる人であれ」との言葉が胸に残っている中での被災でした。普段の業務で関わっている方々の安否確認や避難所での応援を通じて「人とつながっている」ことの大切さを痛感。同時に、自力でSOSを発することも支援物資を受け取りに行くこともできない人を支援するためにも、身近な地域での支援体制が必要だと思いました。
<茨城県在住>
1944年の東南海地震を三重県で経験しています。1945年6月、戦火の中を逃げ、空襲で家は焼けました。また、戦後、家は海に近く、台風の来る度(ジェーン台風、13号台風など)床上、床下浸水し、海水の流れる中を手をつないで逃げたことが度々でした。伊勢湾台風は、大学の女子寮で経験し、その後救援活動に参加しました。この度の地震では棟側瓦がずれてますが、修理する職人さんが足りず、先になるようです。原発からの放射性物質の飛来がいつおさまるのか福島県の避難されている方々への思いがあります。4つのプレートが集中してる日本の国土を考えて行政、国の整備を望みます。御見舞のお葉書、有難うございます。
<千葉県在住>
同窓生の勤めている職場等で福祉人材不足があれば、災害ボランティアを通じて、同窓生(介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、教員等)を派遣できるシステムを構築する。その際の費用負担は、本会が負担する。その機能を各サテライトセンターで地域毎とりまとめる。
<千葉県在住>
実家が全壊しました。ライフラインの普及は、まだ対応できていない箇所もあります。行政からの指導ではなく、過疎地域の活性化にむけた施策が今こそ必要な時なのかもしれません。
<千葉県在住>
この度の震災亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。同窓会を通しての情報提供や施策について、今回の震災で仕事や住まいを失われた方々に。同窓会の中で自営業もしくは農業などの仕事提供や住まいを提供できる方がいらっしゃれば情報収集して随時提供できるWEBサイトもしくはメールなどで連絡するのはいかがでしょう。恐縮ですが、ご検討下さればと思います。
<千葉県在住>
同窓会からの御見舞、ありがとうございます。当地に被災状況は津波被害にあった旭市周辺、液状化にみまわれました。東京湾岸に比べれば軽微なものといえるかもしれません。それにしても当地で震度6弱というのは経験したことのない揺れでした。現在、一番心配なのは放射能汚染の問題です。土壌、水、食べ物すべてにわたって全県での放射線量の調査、観測とそのデータ公表が望まれています。
<千葉県在住>
私自身は介護などで身体に支障があっちこっちででております。ボランティアしたくてもできない状態です。しかし、若い体力のある福祉大の方には学校と事業の一環として被災地支援ボランティア活動を単位として認めるなどして協力し、かけがえのない学びの場が学生に提供できることを祈っています。
<千葉県在住>
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