知多の子ども特別賞
「十四才の私が戦争について考えたら」

半田市立半田中学校 2年

堀崎 麻由子

毎年八月になると、必ずテレビで戦争を振り返る番組や戦争の犠牲者を追悼する番組が特集されますが、正直なところ、今まで興味を持ったり、戦争とか反戦とかを深く考えた事はありませんでした。戦争はいけない事、戦争によってたくさんの尊い命が失われてしまう事、原爆の恐しさ、そういう事は漠然とわかっていた気はしますが、今年の夏は、少し考えるきっかけがありました。

それは、NHKの「若者がみた戦争と平和」という番組でした。長崎生まれの二十才の大学生の話でしたが、彼は祖母を原爆症で亡くし、自分自身も被爆三世です。そういった事もあり、高校生の頃から熱心に反戦・反核を訴え続けてきて、一万人以上の署名を集めたりするなど、今もさまざまな活動を継続中です。

ある日、彼はニューヨークのグランド・ゼロで、演説をする機会がありました。それは、短いけれど重みがある言葉で、すごく心に響きました。

「広島・長崎・ニューヨークだけがグランド・ゼロではない。戦争によって爆弾が落ちたすべてのところが、グランド・ゼロである。それに対しては報復ではなく愛を。絶望を希望に。」と。それを聞いていた国・世代を超えた人達から、たくさんの拍手があり、そこにいたすべての人々が同じ思いで一つになれたようで本当に素晴しかったです。日本にも彼のような若者がいることを誇りに思います。

戦後六十年で人々の中から戦争の記憶が薄れつつあるといわれています。しかし、戦争を体験した人々、とりわけ原爆を体験した人々にとっては、風化するなんてとんでもない事だと思います。今だに原爆症で苦しんでいる人もたくさんいます。戦争を知らない私達には、その計りしれない悲しみ、辛さ、重みはリアルにはわからないです。でも、多くの人々が今も悲しみや痛みを背負って生きているという事が、とても辛いです。

こうして、これを書いている今も、イラクや世界のどこかで戦争や紛争で苦しんだり、悲しんだりしている人々がいると思うと、とても悲しくなります。いつまで人々は戦争というまちがいをくり返してしまうのでしょうか。

平和になった日本に生まれ、平和な事があたりまえのような毎日を過ごし、時には、ワガママだったり、自由である事に慣れすぎてしまっている私達の世代。でも、私達だって戦争は恐いのです。核も恐いのです。私達はリアルに戦争を語る事はできないけれど、反戦・反核を訴え続ける事はできるはずです。私達にできる事は限りがあるけれど、大事な事は、誰もが戦争に対する問題意識を持って平和を訴え続ける事だと思います。