日本福祉大学生涯学習センター長賞
「みんななかよくたすけ合える社会」

半田市立乙川東小学校 3年

大牧 美怜奈

二〇〇五年、知多のとこなめ市に中ぶ国際空こう(セントレア)ができて、あい知けんで 「あい・地きゅうはく」が開かれた、はなやかな年に、わが家では大へんな年になりました。

元気だったおばあちゃんが、とつぜんの入いん。はじめて手じゅつをしました。それから、 ベッドの上での生活が長くつづきました。立ち上がるために、リハビリをして、先生の手を かりてやっと車イスにのりました。わたしはそれまで、車イスというものを遠くから見たことはあっても、近くでさわったことがなかったので、車イスにのっている人は体がふ自由で、とくべつな人がのるものだと思っていました。

でも、おばあちゃんのつきそいで何度も病いんへ通っているうちに、たくさんの人が車イスにのったり、つえをつきながら歩いているのに気がつきました。わたしと同じ年くらいの 男の子や外国の人もいました。ある日、お母さんと病いんのエレベーターにのろうとした時、点てきのカートがエレベーターのドアのレールにはさまって、こまっている女の人がいまし た。お母さんがその人のカートをレールから外してあげている間、わたしはエレベーターの中から開くのボタンをおしつづけていました。女の人は、
「ありがとう。」
と、言ってくれました。わたしは、少しだけ人だすけをしたような、うれしい気もちになりました。

次の日は、わたしたちが両手にたくさんのに物をもってエレベーターにのろうとしていた ら、車イスのおじさんが、わたしたちのために開くのボタンをおしてまっててくれました。 そして、
「何かいまでですか。」
と言って、数字のボタンをおしてくれました。わたしは、車イスの人にたすけてもらいました。わたしはお母さんに、
「とても親切な人だね。」
と言い、心が温かくなりました。その後、おばあちゃんと同じ病とうに入いんしている人や 外国人の人とあいさつしたり、十才の車イスの男の子とも手をふってあいさつするようになりました。そして気がついたのは、車イスにのった人も、体がふ自由な人も、とくべつなのではなく、おたがいにたすけ合える人間同しだということです。

二〇〇五年の夏は、わたしにとってわすれられない大切な体けんをした夏となりました。これからは、体がふ自由な人も、弱い人も、年をとった人も、ほかの国の人も、みんななかよくたすけ合える社会を作っていきたいと思います。