特別賞
「当たり前に生きられる幸せ」

東海市立加木屋中学校1年

古川ふるかわ 陽奈ひな

 二〇二〇年新しい感染症が生まれた。新型コロナウイルスのことだ。数ヶ月もしないうちにコロナは世界的に流行した。コロナは私たちの今までの日常を簡単に奪い去ってしまった。今までの当たり前が当たり前ではなくなったとき、私は気付いた。当たり前のことが当たり前に過ぎていく日々がどれだけすばらしいことだったか。

 コロナが流行し始めて少しすると、学校は休校になった。いつもは行く気になれなかった学校も、いざ行けなくなると不思議と行きたくなった。

 新学期になると、分散登校が始まった。久しぶりにみんなに会えた。しかし、みんなの顔にはマスクがあり、友達の表情が読み取れなかった。給食の時間も感染予防のために喋ることが出来ず、黙食が徹底された。自分と友達の距離が離れていき、だんだん人との接し方がわからなくなってしまった。話していても笑顔が見えず、マスクを取ると先生に怒られる日々、それが辛くて辛くて仕方がなかった。

 そんなことが日本中で起きる中、私はコロナの影響で大切な人を失った。すごく悲しかった。身近にいる人をコロナの影響で失ってしまうなんて考えたこともなかった。そのとき、私は大切な人をコロナから守るために、まだ子どもだからといって油断せずにきちんと感染対策をしようと思った。

 五年生になり、少しは制限が緩和されたものの、楽しみにしていた林間学校は日帰りになり、なかなかコロナ禍前の生活には戻れなかった。

 六年生になり、やっと音楽の授業で歌を歌ったり、リコーダーを吹いたりすることができるようになった。さらに、修学旅行も泊まりで行くことができた。ようやくコロナ禍前の生活が戻ってきた気がした。

 中学生になり、マスクをつけなくてもよくなった。それが私にとってどれほど嬉しかったことか。みんなの表情を見ながら会話することができる。三年ぶりに普通に会話することができるようになったのだ。少し前まではマスクをしていない人を見ると、なんでマスクをしていないんだろうと不快に思ってしまい、自分の思考が窮屈になってしまったようで悲しくなっていた時間も、もうなくなると思うと嬉しかった。さらには、給食の時間に友達と話すこともできるようになった。今までお昼の放送しか聞こえなかった教室に、みんなの楽しそうな声が響くようになったのだ。

 私はコロナ禍を通して、当たり前のことが当たり前にできる日々のすばらしさを知った。これからは当たり前のことができる日々の幸せを噛みしめて生きていこうと思う。

 最後に、まだコロナの影響でできないこともあるけれど、これからコロナ禍前のようにたくさんのことができるようになり、誰もコロナの影響で悲しむことがなくなる世界になることを願う。