日本福祉大学学長賞
「幸せは自分が決める」

阿久比町立阿久比中学校2年

伊藤いとう 玲奈 れな

 幸せは自分が決めること――私の家の壁に飾られている色紙の言葉です。かわいらしいお地蔵さんの絵と一緒に描かれています。ただその色紙を描いてくれた祖父はもうこの世にはいません。

 去年の十月下旬の夕方、母の携帯が鳴りました。祖母から、
「じいちゃんにガンがみつかった」と。検査の結果、もう治療することのできない末期のガンとのことでした。祖父は、病院に入院することをやめ、自宅で最期を迎える、ことを選択しました。このころはコロナ禍のため、病院での面会などが、まだ許されていませんでした。慣れない病室で、家族にも会えず、しかも、今ここで入院してしまったら、もう二度と出てくることはできないだろう、と思っていたからかもしれません。医師からは、余命は一カ月から三カ月と伝えられました。

 母は、その日から在宅医療を行うための手続きや契約をしたりで、とても忙しくなりました。毎日、毎日、せっせと母は実家に通い、夕方帰ってくると、祖父の様子を伝えてくれました。治る見込みもなく、日毎に弱っていく祖父を見守ることしかできなかった母は、本当につらかっただろうと思います。

 「じいちゃん、どうしてももう一度温泉に行きたいんだって。」
昔から、温泉が大好きだった祖父は、全国各地の名湯巡りを趣味としていました。既にほとんど寝たきりの状態になっていたので、移動などで残された体力を使ってしまうことに、周りは悩みました。しかし、母は祖父の願いをかなえるために、介護設備が整っている旅館を探しだし、夕食には、長年の友人達と一緒に宴をして、温泉も介助の人の付き添いで、お風呂に入ることもできました。

 「連れてきてくれてありがとう。俺は幸せだよ。」
と、何度も母に言ったそうです。

 亡くなる二週間位前に、私は、祖父に会いに行きました。祖父は、小さい頃から、双子の私たちに会う度に、「絵が上手だね、字も上手だね。」と、いつもほめてくれました。毎年私たちの誕生日が近づく頃に、ケーキの予約券と、すごく上手な絵と字でお祝いの手紙を送ってくれました。

 祖父の家には、たくさんの祖父が描いた色紙が飾ってありました。

 「好きな絵があったら持っていってね。」
と、祖父に言われ、私は一枚の色紙を手に取りました。

 毎日の生活の中で、腹の立つこと、思い通りにいかないことがあったとき、「あー、なんてついてないんだ、あの人はいいよなあ」と、人と比べたり、うらやんだりしてしまいます。そんな時、私は祖父の色紙を読み返すことにしています。すると不思議なことに気持ちがだんだん落ち着いてきます。
「幸せは自分が決めること」この言葉を胸に私はこれからもがんばって生きていきます。