被災地の同窓生の皆さんからのおたより

日本福祉大学同窓生の皆さんからのおたよりを地域別に掲載しています。
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皆さんからのおたより(宮城県)
ありがとうございます。自宅も勤務先も山に近いので、ほぼ大丈夫です。転勤しました。県教委はこのような震災の中でも異動を強行しました。その上、東京から一年だけの応援の教員を受け入れたりしています。震災から2か月経った5月11日に肺炎になってしまいました。かかりつけの診療所が通常の診療に戻っていたので助かりました。
旦那の実家のあたりは今でもガレキで一杯です。私のアパート近くまで水がきました。小さい子を連れているので今後の生活が心配です。はがきを頂いて、とても励みになりました。ありがとうございます。
余震に怯える日々を過ごしております。
幸い身辺に大きな被害はありませんでした。震災後は、家庭のこと、職場の普及で目の前のことで精一杯でした。大学時代の友人やお世話になった方から、安否を気遣う連絡をたくさんいただきました。福祉大のつながりの強さを改めて感じています。
津波は1キロ程手前で止まってくれました。しかし、アパートは1階部分が特にひどく壊れました。私たちは2階なので何とか住んでいました。ようやく応急仮設住宅が決まり、この5月中に何とか引越できそうです。仙台市の借り上げ住宅なので、2年以内にまた引越先を探さなければならないという条件です。お見舞状、ありがとうございます。
3月11日の地震では経験した事のない長い強い揺れでした。ライフラインを断たれた生活をしばらく送りました。電池、ガスボンベ、ガソリンが店にもなく不自由しました。津波は近く川を上っていきましたが、街の中11キロ程手前で止まり難を逃れました。家の中も少し片付け終わった4/7に再度強い地震があり、又、家の中は元のように散乱してしまいました。今度は、家の土台、壁にも亀裂が入りました。少しづつ家の中も気持ちも整理しながら生活しています。今でも毎日のように余震があり、不安です。
3月11日自宅にて被災。避難所にいく準備をしていたところ。津波が庭に入ってきたので、自宅2階に駆け上がる。2階の床上20センチ近くまで浸水あり。2階に孤立していたので、3日目に近くに来た自衛隊に救助を求めたところ、1階からの救助は不可とのこと。ヘリコプターを要請してくれたので、4日目午前10時30分、介助を受けて2階の窓から1階の屋根に移り、ヘリコプターで救助を受け、一命をとりとめました。夫は市内の最上川河口の橋を走行中車と共に流されましたが、民家の庭に辿り着いて無事助かりました。夫とは4日目に再会できました。避難所生活を送っていたところ、3月16日に長男が勤務している学校の校長より、学校の寮が提供されたので移動しました。現在は民家の方より、一軒屋が提供されましたので、安心して生活できています。
同じ地震でありながら、津波で明暗を分けた今回の震災でした。当地は内陸部で福島原発から80K圏内なので、そちらの方も不気味です。
別宅、一部損壊。3月11日、4月7日の地震により、別宅、自宅、仕事場の一部損壊と停電、断水、ガソリン不足と大変でしたが、現在はだいぶ通常の生活に戻りつつあります。元気ではおりますので、ご安心くださいませ。ご心配をおかけ致しました。
老人ホームで働いています。3月11日は午前9時頃、塩釜の港で島からショートスティを利用しに来る方の船を待っていました。地震や津波の爪跡を後日知り、恐ろしさにその方と2人で抱き合って命の有り難みに感謝しました。
夫婦ともに日本福祉大学の卒業生です。長男(中2)と長女(小4)を含む我が家は、一時ライフラインが断たれましたが、現在は元気にボランティア活動をしています。全国のみなさんの応援に感謝しています。
今回の震災の被害を心配して、全国のクラス・ゼミの同級生から多くの電話・メール・救援物資が届き、本当に感謝しています。親交のある県同窓生の皆さんは無事です。今後、被災地沿岸部の同窓生に連絡したいと思います。
ここ大崎市古川は震度6強でした。内陸部の為、津波の被害がありませんでした。非常に強い揺れにより、自宅や会社は足の踏み場がないほどに物が散乱。自宅には妻と子供3人がいました。幸い怪我なく無事でした。地震後ライフラインは全て止まり停電は一週間続きました。現在、生活は落ち着いてきました。未だに少しでも音がすると「地震?!」と恐怖心に襲われます。子供たちの会話からも“津波”や“緊急地震速報”という言葉がよくでてきます。それほどの大地震。今も余震は毎日あり、放射能の不安を抱きながら毎日を過ごしています。
内陸部のため大きな被害はありませんでした。
夫の実家に一時的に避難。その後自宅に戻りました。
実家に一時的に避難。現在は自宅に戻る。
前略。専業農家である母の実家は津波の塩害で稲作は完全に0です。仙台市若林区の海岸寄りの地区だったので、親族は家を流されたり、死亡した人も多数おります。テレビで映すよりも被害や精神的、肉体的打撃は言葉で言い表わすこと難しいです。自分は家族と一緒に介護の仕事をしています。高齢の要介護者と共に、毎日生活しています。毎日、地震の事が話題になっております。安心して生活を送れますように努力している日々です。報告まで。
仙台市の内陸部なので被害は、ほとんどありませんでした。しかしながら、津波の被害や地震によって多方面に派生した被害を聞いたり目にするたびにどんなふうに手をさしのべたら良いか“折れた心”をいやす方法はないものか、毎日心を痛めています。
ゼミの恩師からお葉書を頂き、大変うれしく思いました。まだ、ライフラインも整っていない時期に郵便物が届くというのも忘れられない感激でした。先生の御心遣いに感謝しています。又、ゼミの仲間からも何人もの方が連絡を下さいました。震災により、心に重いものをいくつも抱えましたが、卒業して30年経っても心通わせて頂ける日本福祉大学の卒業生でよかったと思えた一時でもありました。ありがとうございます。
自宅。保険では半損壊になりました。大学、県支部の方に電話にて安否確認の連絡を頂きました。このように「気にかけて頂いている」と思えることが本当にありがたいことなのだと改めて実感しています。
最初は職業柄3週間ほど家に帰ることができませんでした。今は普段通り生活しております。内陸なので、無事でした。

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