被災地の同窓生の皆さんからのおたより

日本福祉大学同窓生の皆さんからのおたよりを地域別に掲載しています。
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皆さんからのおたより(福島県)
娘は埼玉県内に勤務しております。無事で仕事を頑張っています。福島市内は放射線が高いです。風評被害によっては野菜の値段が安いです。
放射能の子供たちへの影響について、くわしく見当がつきません。あまり、恐ろしいことにならないことを祈る毎日です。
原発、放射能に対してわからない部分が多く、地域の方々は毎日不安な日々を送っております。また、自身を含め農業に携わる家々にとって、将来に懐疑的です。
放射線量の高い福島市で、子供たちの将来の健康を考え、避難すべきかを考えていた矢先、子供より先に私自身が体調不良となってしまいました。ゴールデンウィークを利用し、実家へ一時避難。現在は再び福島市の自宅に戻っての生活です。夫は県社協勤務の為、出張で不在が続いています。3人の小学生の子供たちと共に不安な中で毎日を過ごしています。安心で安全な穏やかであたり前の日常にはもう戻ることができないのかな、と思います。正確な情報がほしいです。
地震による原発事故の影響でいまだ放射能の数値が高いのが心配です。しかし、子供を外に出さないこと以外は、ほぼ日常生活です。多数の同期、先輩、後輩から心配・安否確認の連絡を貰い、大学時代の絆が続いていることに感謝しています。一日も早い復興を願っています。
同居の娘と孫2人(5歳と3歳)は神奈川県に自主避難中。福島市は放射線量の数値が高いので心配です。子供たちは外で遊ばず、帽子とマスクで通学しています。
お葉書、ありがとうございます。ご心配おかけしております。福島原発より約60キロ離れた福島市に居住していました。しかし、こどもたちの健康を考え、転居しました。
福島県内いわきを除く浜通りの方には連絡がついていません。浜通り県南の被害が激しいようです。
震度6強の地震により自宅外壁に少しヒビ割れができました。10日〜2週間の間、水道が出ず、電話もつながりませんでした。私の地域は被害は少なかったです。しかし、福島県全体で放射能事故問題が現在進行中です。
当日(3月11日)、退職者会役員会の為、福島市出張中でした。帰宅するのに自動車で、4時間30分かかりました。まず、同窓会長はじめ事務局の皆様に厚く御礼申し上げます。その上、同期会の皆様には色々とご配慮をいただき感謝申し上げます。私の隣家や前の家は全損壊となりました。当家も家の他、門柱、大谷石塀や南西側のブロック塀の損壊、自動車の破損(堀や小屋の中で)、墓石の損壊などがありましたが、大丈夫でした。
当日(3月11日)は保育所で仕事中でした。子供、職員ともにケガもなく無事でした。所庭に避難後、雪が降る中、余震が繰り返しある中、子供たちと必死に保護者が迎えに来るのを待ちました。電話はつながらなくなったりもしましたが、子供たちの笑顔に勇気づけられました。翌日から、水道が止まり、ガソリンも入らず、はじめての体験ばかりでした。更に、原発のことがありました。今は、原発が安全になるのを祈るばかりです。今回のことで、家族、友人を始め多くの人たちの温かさが身にしみました。
3月11日、14時46分から巨大地震が発生しました。那須川は震度6強でした。勤務先の特別養護施設は、その後の余震も含め、建物本体の被害ほぼなし。しかし、受水槽及び浄化槽損壊、ボイラー室からの配管も損壊で2棟のうち1棟は使用不可となりました。5月から復旧工事開始する(工事には3か月ほどかかるそうです)。自宅はボイラーが故障し、2階の出窓ガラスが4枚中、2枚全損し手配中。でも福島は、負けません。(「フクシマ」にはなりたくありません)
私の住む棚倉町は震度6弱でした。幸い食器が一枚割れたのみで、マンションにも大きな被害はありませんでした。職場は停電になりましたが、翌日復旧しました。原発からも70キロと離れていますので、とりあえず普段と変わらない生活・仕事をしております。
放射能の値が高く、子供たちの影響を考え一時避難をすることにしました。目に見えず何とも不安でした。一時避難し、少し安堵しています。
大学からの安否の問い合わせの電話があったと実家から連絡がありました。大変、嬉しく思いました。ありがとうございました。
私の住んでいる地域は地震や津波の被害はほとんどありません。しかし、放射線量が多く、不安な毎日です。市役所に勤務しているため、太平洋側から避難してきている人の対応や放射線量測定など日々の業務以外の対応に追われています。頑張っています。
会津は、今のところ一番の被害は風評被害です。原発が早く収束するように祈るばかりです。そして、今後、これ以上の地震がないことを祈ります。ご心配、有難うございます。
会津はお陰様でライフラインの崩れ(一部はありましたが)は、ほとんどなく、日常生活はできました。ありがとうございます。長期にわたる原発への不安があります。
このたびの大震災につきましては、ご心配を頂きありがとうございました。状況について、会津地方は屋根のかわらや壁が落ちたり、家の門や塀などの崩れ落ちるなど多く見られました。自宅では墓石が倒れました。墓石も5月末に工事は終了しました。又、水田3hほど米の風評被害の方が怖いです。地震当時はおにぎりの炊き出しボランティアなどに参加して来ました。又、美里町では1,200人ぐらいの被災者の方が来られていました。3月12日以来、自分にできることは何か普通で過ごせることの幸せを改めて知る機会を与えられた気が致します。
一日も早く原発が落ち着き、もとの生活に近づくことを、県民として願っています。
地震や津波の被害も大きいものがあります。いわき市はその上で原発事故の恐怖があります。勤務先が特養です。もし避難となったらと思うと不安です。自力で移動できない方。とても心配です。
3月31日付で役所を退職しました。4月1日から大学に勤務しています。自宅は全損壊と記入しましたが、損害保険会社の調査で家屋は倒壊しないものの傾斜4度で全壊と認定されたものです。3月中の業務は通常通りでしたが、土・日も出勤で主に避難所の設置運営にあたっていました。3月まで勤務していた職場は半壊状態で危険なため5月22日に武道館に移転しました。それ以前は武道館は御遺体安置所になっていました。
原発事故の影響で避難地域が拡大するかも知れないと思うと不安です。(自宅はひびがはいったものの損壊は免れました。しかし、現在も余震が続いています。)
勤務先が第一原発5キロ圏内、唯一の教会でした。教会員の希望者と共に約60名で、キリスト教キャンプ場にて集団避難生活をしています。食費、滞在費は全てキャンプ場の御好意により無償でお世話になっており、有難いやら申し訳ないやらです。ホームページに避難の経緯をアップしたところ、世界中のクリスチャンからたくさんのご支援を頂き、また行政側のバックアップもあり、ただただ感謝しています。原発事故の収束と早期の帰宅を祈るばかりです。
原発の水素爆発やガソリン不足、物資不足でやむなく市外へ。一時自主避難を余儀なくされました。4月から普段の生活に戻っています。(原発から32キロ地点での生活です)

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