被災地の同窓生の皆さんからのおたより

日本福祉大学同窓生の皆さんからのおたよりを地域別に掲載しています。
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皆さんからのおたより(青森県、秋田県、山形県、茨城県、千葉県)
玄関戸下のコンクリート土台破損と玄関戸破損(地震による)修繕に丁度17万円かかりました。しかし、ケガ等はありません。ケガが無かっただけでも助かったとの思いが強いです。
<青森県在住>
わざわざのご照会、ありがとうございました。お陰さまで青森市は無事でした。
<青森県在住>
青森市の中部のため、特に地震被害等はありません。
<青森県在住>
同窓会のお心づかい、感謝いたします。私の住む青森市弘前市は3月11日〜12日かけて停電があり、その後2週間ほどガソリン不足になったこと以外は、ほとんど被害がなく通常通りの生活を続けることができております。被災された同窓生の皆様に心からお見舞い申し上げます。
<青森県在住>
仙台市内で大学生活をしている息子を3月15日に迎えに行きました。当時はライフラインも未復旧の部分がありました。食糧品も不十分でかなり不便だったようです。秋田から山形経由で仙台に入りましたが、ガソリンが不足しました。天童市内で2時間ならんで2,000円分だけ入れてもらえました。次男はその後、3月27日に仙台市に戻り、ボランティア活動に参加しているようです。
<秋田県在住>
幸いにも2晩の停電以外は特に被害はありませんでした。しかし、秋田でも内陸部地震が発生したりしており、普段からの備えの大切さを痛感しました。また、当地では1月の大雪で家屋や果樹に大きな被害を受けた直後でした。地域の生活が活気を取り戻すことを願っています。
<秋田県在住>
秋田県内に住んでいる次女は避難生活。自家用車の損害もありました。今はライフライン復旧し、アパートへ戻っています。
<秋田県在住>
秋田県老施協の業務として、陸前高田市、大船渡市、宮城県沿岸部を視察、施設支援の必要性を調査。津波の被害の凄まじさに唖然としました。
<秋田県在住>
県内同窓生が被災したとの情報はありません。
<秋田県在住>
震災当日から2日、4日の余震で1日ほど停電、断水しました。壊れたものもなく、私に限っていえばすべて無事で、通常通りの生活に戻っています。物流も回復し、何不自由ないです。しかし、奥羽山脈を隔てた隣県とのギャップがあまりにも大きく、2か月以上経った今でも胸がつぶれるような思いにとらわれることもあります。雪害がひどく、雪どけと共に多くの木が折れている状態も重なって、まるで津波が来たかのような町の景色もあり、なかなか明るい気持ちにはなりにくい毎日です。
<秋田県在住>
ご心配頂き有難うございます。秋田県は本震当日と翌日、停電となりました。ガソリンや灯油などは1か月以上も需要が不安定でした。現在ではスーパーの商品やガソリンなど、安定しています。母校同窓会のご活躍を心より祈念いたします。また、余震が一日も早く落ち着くことを願います。
<秋田県在住>
山形県内は被害が殆どありません。しかし、実家 福島県伊達郡桑折町は地震被害に加え原発事故での放射線量がこの辺の20〜30倍のようです。実家の事を考えると、心配で心配で心休まるときがありません。とにかく原発全廃を目指し動こう!という気持ちを改めて確認しています。
<山形県在住>
卒業してからも心配していただきありがとうございます。山形も地震はかなりの揺れで、電気も止まりましたが、被害はありませんでした。本当にありがとうございました。
<山形県在住>
余震のたびに不安になります。停電、ガソリン不足など、一ヶ月の間は困りました。近県の方の苦労を思うと身につまされます。日々の生活の大切さを思いしらされました。
<山形県在住>
宮城県名取市に親戚がいます。家も人も無事とのこと。私の住む鶴岡も3週間ほど、ガソリンやスーパーの品薄がありました。
<山形県在住>
地域の同窓会からも連絡ありました。本当に心強いかぎりです。ありがとうございます。
<山形県在住>
今回の震災で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。また、ご心配いただき心から感謝申し上げます。
<山形県在住>
福島市在住の娘は震災後、夫の実家の郡山市(猪苗代湖の南)に避難。1歳になったばかりの孫は外で遊べずにかわいそうです。一日も早く安心な元通りの生活ができることを祈るだけです。
<山形県在住>
やっと体感余震も減ってきました。落ち着いた生活を送っています。茨城県内でも被害の少ない地域だったため、街を歩くと屋根にブルーシートをかけた家はまだあるものの、災害ボランティアセンターの需要も減少しているようです。さまざまな形で被災地に入る皆さん。くれぐれもお身体に気をつけてご活躍ください。
<茨城県在住>
まだ続く余震、放射能への不安もあります。しかし、家族で生活できることの幸せを改めて感じている毎日です。
<茨城県在住>
3月11日、14時50分頃、職場(肢 養護学校)で生徒の下校直前の時間帯に今まで経験したことのない、大きな揺れを感じました。おさまったところで、全員校庭に避難。断続的な大きな揺れは止まらず、心配で迎えにきた保護者からは「信号は消えた」「ブロック塀がくずれている」「道路に亀裂が入っている」などの情報が寄せられました。スクールバス6台での下校予定を止め、全員保護者に迎えにきて貰い、全員が帰ったのは19時頃となりました。その後、水道・電気が利用できず。翌日は休校となりました。職員室はメチャメチャ、重ねていた棚は全て床に落ちていました。
<茨城県在住>
ご心配ありがとうございます。何も被害はありません。身近では、ホウレンソウの出荷停止があったとき、農業のことが気になりました。
<茨城県在住>
かなり厳しく揺れ、地面が盛り上がってくる感じでした。外にいたのですが、家に戻ると食器が割れているぐらいでした。職場は千葉県でしばらく(一か月ぐらい)は仕事に影響はありました。支援は同窓会の募金に協力しました。
<茨城県在住>
周囲では屋根瓦の損壊等でブルーシートをかけた家も見られます。我が家ではお皿が2枚程破損しただけででした。ご心配、有難うございます。
<茨城県在住>
御見舞のお便りありがとうございます。我が家は茨城県でも南部で東京方面に近く被害はそれ程ではありませんでした。現在は放射線の子どもへの影響を心配しながら毎日暮らしています。東北の甚大な被災地の方々のため、母校の皆様のお力が役立ちますよう願っています。
<茨城県在住>
直後は断水がしばらく続き、生活に不便はありました。今ではすっかり通常通りの生活です。
<茨城県在住>
被災された皆様にお見舞い申し上げます。私は勤務先の保育園で地震にあい、昼寝から起きたばかりの園児達と園庭に避難。全員怪我もなく無事で何よりでした。家族とはなかなか連絡が取れず、心配でしたが、ご近所の方のお世話になりながら、我が子も無事帰宅しました。この程度でも大変だったのに被災地ではどんなにか、と心を痛めています。
<茨城県在住>
自宅でも周囲でもほとんど被害が無かったのでほっとしていたところ。その後、茨城の沿岸部では津波の被害がありました。その後、原発の事故もあり漁業、農業、産業ともども問題を抱えております。東北はもっと大変だと存じます。ささやかながら義援金に参加しました。
<茨城県在住>
埼玉県内の社会福祉協議会に勤めています。その為、震災被害はありませんでした。震災後、避難されて来た方々への支援にと、忙しい毎日でした。最近は忙しさも一段落し、疲労を感じ始めてきたところに母校同窓会より手紙が届きとても嬉しかったです。ありがとうございました。
<茨城県在住>
家族は持病悪化の為入院。同窓会の皆さまにはご心配をいただきありがとうございます。水戸も今回の震災では市役所や偕楽園を始めとして、ずいぶん被災致しましたが、東北三県の被災状況を思うと胸が痛むばかりです。今は早く福島が無事に終結してくれることを祈っています。本当に心配です。茨城は何とか自分たちで復興します。どうぞ、東北の方々を支えてあげて下さい。ありがとうございました。
<茨城県在住>
ご心配いただきありがとうございます。日常生活は普段に戻っていますが、市内では市役所、図書館、文化センター、公民館など、まだ閉鎖中の所もあります。あれほど凄い地震は初めてでした。今だに余震が続いています。日本福祉大学の友人からは、直ぐに電話やお手紙など頂き嬉しかったです。今は福島の原発の影響だけが心配です。被災地の復興を心にかけて生活をしています。
<茨城県在住>
停電が1日。断水が一か月程続いて不便でした。
<茨城県在住>
茨城県地域同窓会再生に絶大なるご支援をお願い致します。
<茨城県在住>
ご心配、有難うございました。家族一同、元気です。
<茨城県在住>
自宅は修理をしながら住んでおります。ご心配とご配慮、有難うございます。原発の状況は皆、気にしております。
<茨城県在住>
4月から新しい職場に移りました。同僚は日本福祉大大学院に在籍しています。修士論文に取り組む姿、刺激になります。
<茨城県在住>
皆様の積極的な行動にとても感動しています。茨城の現在は、放射線量に振り回されています。また、風評被害が心配です。
<茨城県在住>
御見舞、ありがとうございます。鹿嶋でも津波で被害を受けた地区(主に低い海に近い所)があります。その方々は大変だったと思います。我が家は、神宮近くの高い所で屋根損壊程度ですみました。
<茨城県在住>
社会福祉法人立保育園園長として働いています。液状化により園舎が傾き、復旧中です。園児・職員家族、全員無事で、少しづつ通常の生活に戻りつつあります。
<茨城県在住>
3月中はライフライン、ガソリン不足、品薄など、大変でした。東北の方々に比べたら、大したことなく、今は普通の生活です。ありがたいことです。ケアマネジャーをしています。3月から4月は利用者支援が大変でした。
<茨城県在住>
仕事は少し前までは避難所で3交代。水戸市本庁舎使用禁止です。
<茨城県在住>
私自身も家族にも被害はありません。家、職場が一部損壊したものの現在は通常通りです。停電や断水は1〜2週間続きましたが、今は大丈夫です。
<茨城県在住>
この度の震災で被災された方たちに心よりお見舞い申し上げます。千葉県に住んではいます。お陰様で被害もほとんどなくてすんでいます。貴会からの心遣いに感謝します。
<千葉県在住>
私の住むアパート・実家ともにお陰様で問題はありませんでした。職場は、千葉市内にある大学です。液状化の被害を受けています。大学には東北の学生も多数在籍しています。大震災直後、大学のコールセンターは問い合わせ対応に追われました。被災し、大変な状況の中で「学びたい」との思いが伝わってくる電話が多く、毎回心が熱くなりました。
<千葉県在住>
ご連絡ありがとうございます。東日本大震災においては、私どもには特に被害はございませんでした。訪問介護サービスを営んでおります。利用者様、ヘルパーさん、従業員も無事でございます。
<千葉県在住>
被害は特にありません。食器が割れたり額が落下した程度です。東北の方に比べたら大したことはありません。いろいろご心配して頂き、誠にありがとうございます。心より感謝しております。
<千葉県在住>
ご心配頂きましてありがとうございます。私どもの居住しております千葉県北部は大きな被害はありませんでした。今後ともよろしくお願い致します。
<千葉県在住>
被災されている同窓生に対し、心よりお見舞い申し上げます。
<千葉県在住>
地震の後、御見舞のお電話ありがとう存じました。被災地の皆様から見れば大した事もありませんでした。高齢と一人暮らしなのでお電話はとても心強く嬉しく思いました。
<千葉県在住>
お気づかい、ありがとうございます。無事にすごしています。職場(学童保育所)も当日は保護者への子どもの引き渡しで夜9時ごろには全員家族の迎えがありました。
<千葉県在住>
実家が茨城です。一部損壊の被害を受けましたが、幸いにも両親は無事でした。
<千葉県在住>
自宅は食器や電話等が壊れた以外はけが人も無く、無事でした。
<千葉県在住>
ご心配頂き、有難うございます。東北地域のみだけではなく、千葉県でも液状化現象で被害を受けた地域があります。余震と原発の心配がまだまだあり、不安な日々を送っている現状です。自然災害は防ぎようがないとも思います。
<千葉県在住>
市職員のため。10日間ほど復旧業務を行いました。液状化現象著しく、ライフラインがストップし、勤務先の保育園は10日間休園となりました。開園後も上下水道は復旧せず。4月下旬までに市全域でライフラインが戻りました。建物は大丈夫でした。地震の時はまるで舟のようでした。
<千葉県在住>
私自身は被害はありませんでした。実家は東北で今回の被災地にあります。親や兄弟、友人など自宅や職場などで大変な思いをしておりますので、心を痛めております。月末、支援の為に一時帰省します。
<千葉県在住>
地震が発生した時の状態を記します。地震が起きた時は、保護者と面談中でした。揺れがなかなかおさまらずテーブルの下でロッカーからの落下物をさけていました。校庭にでるように言われ、児童とともに避難しましたが同じ市内でも建物に被害がなかった学校もあれば、ブロック等が崩れたところもありました。児童を保護者に引き渡したのは21時頃でした。最終的に、被害が少なかった地域でも被災の影響は大きかったです。
<千葉県在住>
職場(通所介護施設)でのこと。マンションのエレベーターが動かず、自宅に戻れない方や家の中が乱雑で片付けないと入れない方や家族と連絡が取れなかったり方など。夜遅くまで対応に追われました。現地の大変さを考えると些細なことです。同時にマンションの上階に車いす利用者は住めないなとつくづく思いました。
<千葉県在住>
私や親族を含め、私と面識がある同窓生で東北地方在住者はいない為、大きな被害を受けた人はいませんでした。大学のサークルの先輩で浦安市在住の方は1ヶ月断水生活を送られましたがお元気です。
<千葉県在住>
ご心配いただきありがとうございました。丁度引越をした日で、粗大ゴミを出しに新浦安地区におりました。埋め立て地の液状化による被害はを目撃し、絶句しました。目の前で泥水がしぶきをあげて出はじめた時はさすがにあせりました。
<千葉県在住>
震災に因らず、もともと4月末に転居予定であったため、表面に転居先住所を記載しています。当方、10日間の断水、本棚の倒壊による自宅のPC損害の被害に留まりました。
<千葉県在住>
一か月程救援、復旧業務に従事。自宅。罹災証明は一部損壊判定ですが、保険では半壊でした。
<千葉県在住>
浦安は液状化で大変な状況でした。幸い自宅は大した被害はありませんでしたが、ライフラインはすべて途絶えました。(現在は復旧しています)
<千葉県在住>
お見舞い、ありがとうございます。おかげさまでこちらに被害はありませんでした。県内には大きな被害がありました。放射能をとても心配しています。
<千葉県在住>
安否確認、ありがとうございます。被害は窓のセレクト(鍵)が揺れで広がって動かなくなったくらいです。停電も一晩のみでした。千葉県も浦安他の液状化と旭の津波がありましたが、私の方は大丈夫でした。
<千葉県在住>
3月11日に震災が起き、3月15日に父親が亡くなりました。また、その8日後の3月23日に今度は父を後々追うように私の弟が亡くなりました。父は神経変性疾患を患っており、眠ったまま亡くなりました。心筋梗塞でした。震災関連死の可能性も否めないと思っています。弟と場合、小さい時から脳性小児マヒを患い、その38年間の人生は賞賛に値するものと尊敬しています。震災とは直接関係なかったかも知れませんが、かけがえのない人の死が震災と連動していたので連絡させて頂きました。
<千葉県在住>
実家(茨城県南部)の土蔵の屋根が崩れました。日常生活に支障はありません。
<千葉県在住>
この度は、ご心配いただきありがとうございます。幸いなことに両親ともども無事でした。大震災によって被災された皆様に心からの御見舞と一日も早い復興を願っております。
<千葉県在住>
自宅の壁が割れたり崩れたりしました。居住は可能です。特別養護施設にショートスティ中です。施設は被害なく他県の要介護者の受け入れを行っています。(長男代筆)
<千葉県在住>
市原では石油コンビナート火災がありました。幸いにも自宅より距離がありました。お陰様で被害もなく、今は以前と変わりない生活に戻っています。ご心配いただき心よりお礼を申し上げます。
<千葉県在住>
千葉県南部、内房に在住しています。市内全域、被害はありませんでした。
<千葉県在住>
房総半島では、鴨川から南部は被災はないと思います。風評被害はあります。
<千葉県在住>
安否確認作業。御世話様です。発生当初は物品不足、ガソリン不足、停電などあったものの、大きな被害はなく、現在は通常の生活を送っております。被災地の方の心情を御察しし、心が痛みます。1日も早い復興をお祈りします。
<千葉県在住>
震災後、オムツや水が売れ切れになった。現在は特に変わり無し。電池は品薄状態で購入出来ない。
<千葉県在住>

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