◆同窓会員リレー随想

■ 第9回 ■
日本福祉大学 健康科学部  田原 美智子
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高浜専門学校で過ごした日々
 
光陰矢のごとし 閉校してはや 8年がたちました。私は今年は、還暦半ばになります。高浜の開設準備室に転職した時 40歳でした。 福祉施設の作業療法士として日々ADL訓練、作業活動の準備や自助具づくり、レクリエーション企画、屋外歩行 職業前準備 事業報告、住宅探し 職探しに明け暮れて10年目でした。 小さな施設では、職員の回転も早く10年勤務すれば「私がルールブック」になってしまいます。 転機は突然訪れました。下の子が小学校に入り学童保育も始まり通勤時間が取れるようになってきた頃です。 出身の東名リハ学院の柴田先生から「養成教育も義務ですよ。」という卒業式の時の言葉を思い出しその頃まだ教員になる人の少ない時代でしたが養成学校に転職しました。 それから教育畑15年、離職して4年後再び日本福祉大の作業療法学の専攻にご縁があって教壇に立ってます。
 
6月の同窓会の研修のテーマは高浜専門学校を回想するです。 私が名前を覚えない教員だったこと、喫煙スペースで石本先生が常連だったこと、昼休みには田口先生のギターで歌声が聴こえていたこと、ロビーでは作業、介護の学生が入り混じって友達の輪ができていたことなど学校の回りは、静かでしたがワンフロアの校内はとても賑やかなでした。 基礎医学実習室は、授業だけでなく林事務長の一発芸で湧くパーティー会場でもありました。 実習室を中心に活動された解剖学の市原先生 画境の米山先生も鬼籍に入られてしまいましたね。 教職員チームは日本福祉大本体とほどほどの距離をもっていたのだと思います。 2階の事業部は高浜市、専門学校、日本福祉大学の要として悪戦苦闘の日々。 そんなことはつゆ知らず 当時学科長1年目の私は、やりたい放題。 一人職場からいきなりチームメイトができたのですから、それも教育業界という新しいフィールドです。 仕事を選んでいるわけにいかずいろいろやり楽あれば苦あり。 渡る世間は鬼ばかり。 みんなで渡れば怖くない、をモットーに。 「脇の甘さ」「割れ鍋に蓋」などと言われながらもダーツ飛び交う丁々発止の職員会議。 今思えば 「鍛えられました。」。 私が今楽しむ認知力アプリの高得点ゲームは問題解決力と集中力。 年齢平均を下回るゲームは柔軟性です。 40代、50代の職業生活の賜物ですね。 今年は、自助具作りに縁があります。 日本画家の友達と始めた美術ボランティアも5年目になり自分の中での新しい展開を密かにもくろんでいます。 初心に帰ってゆく年になりそうで楽しみです。折り返し点に立っているのかもしれませんね。
 
高浜独自の同窓会は今年が最後になりました。 目次会長を中心に杉浦副会長ともに中央福祉専門学校同窓会への合流に向けて準備が進められるでしょう。 林さん、神谷さん、中央福祉事務長が高浜同窓会の存在をこれからもバックアップしていかれると心強いお言葉をいただきました。 働き盛りの教職員、高浜専門学校の学生の舞台が福祉大の中にいつまでも礎石として残ってゆくことを願っています。
 
「40代の仕事は一生の仕事になるよ」と野中猛先生にお話しいただいたことが思い出されますが、 絶滅危惧種の年代の作業療法士として 教育業界で培った力を使って作業療法の活動や啓蒙を発信してゆきたいと思う今日この頃です。

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