◆青年海外協力隊 活動報告

作業療法士学科4期生(2002年3月卒)
神取 奈津江

派遣国: モンゴル(ウランバートル)
期 間: 平成21年9月〜平成23年9月(2年間)
派遣場所: シャスティン中央病院(国立第三病院)のリハビリテーション科。国内唯一、脳外科と心臓外科を持つ病院。
モンゴル
【モンゴル国とは】
北をロシア連邦、南を中華人民共和国と接する、東アジア北部の国家であり、首都はウランバートル。 日本の4倍にあたる広大な国土を持つが、人口は約280万人と日本の64分の1である。
 
近年、首都の人口が110万人に増加し、中心部ではマンションが立ち並ぶ。 しかしそこから30分車を走らせるとすぐに大草原が広がり、 家畜の放牧とゲル(遊牧民の伝統式な移動式テント住居)を目にすることができる。 また、年間を通しての気温変化が非常に大きい。夏はプラス40度近くまで上がり、冬はマイナス30度以下まで下がる。 国の代表的なスポーツは相撲、乗馬、弓矢であり、毎年7月になると「ナーダム」という大会が催される。
画像)ウランバートル
画像)ウランバートルから少し離れた風景
【モンゴルの医療とリハビリテーション】
モンゴルの医療は日本と比較して20〜30年遅れている。 首都では多くの私立病院が立ち並ぶが、保険の適用はない。 医療保険は皆保険ではなく、保険料納付者のみ。 そして、数少ない公立病院だけで適用され、貧しい人はそれさえも払えないため病院受診できず、医療格差が目立つ。 お金持ちは海外へ治療に行ってしまうことも多い。平均寿命は69歳。 日本のようにちょっとやそっとのことでは通院することはないし、田舎に住んでいれば通院も容易ではない。 一般的な入院期間は10日間で、ICUから出られない重症患者や、他科へ転科しない限り退院を迫られる。 長期入院可能な施設が少ないため、最終的な自宅退院率は高く、医療福祉の社会資源が乏しい中で何とか家族の協力を得て生活している。
画像)活動をしていたウランバートルの国立病院 画像)退院後の患者さんの様子
現在、リハビリテーション科で運動療法を行っている職種は看護師か医師である。 看護師が1年間の研修を受けて資格を取るか、海外でリハビリについて学んだ医師が関わっていることが多い。 いずれにせよ、患者数に対し、圧倒的な人材不足である。 運動療法の理解が少しずつ高まり、ようやく2011年6月に国内唯一のPT養成校から12人の新米PTが誕生した。 しかし、教師は正式なPTの教育を受けたわけではなく臨床経験もない。 実習先の指導者も学生指導の経験に欠いている。 指導どころか学生が患者の訓練を丸投げ同然で任されてしまうこともあり、 教科書も不十分など状況で課題が山積みである。(残念ながら、まだOT学科はない)
画像)PT学生の授業風景
モンゴルの『伝統的なリハビリ治療』は針治療、マッサージ、温熱療法や電気治療などであり、現在も運動療法よりも浸透している。
画像)温泉の泥のホットパックを行っている様子 画像)温泉の泥治療の様子
画像)有償サウナルーム 画像)吸い玉を行っている様子
画像)電気治療器具を使用している様子(1)(治療部位は不明) 画像)電気治療器具を使用している様子(2)(治療部位は不明)
【ボランティア派遣の要請内容】
・臨床を通して現地の同僚へ技術指導
・技術指導と平行し、理論に関しての指導
・看護師,医大生,Dr.への勉強会への協力
・作業療法に必要な機材作成の助言を行う
画像)リハ科の医師・看護師の集合写真
【配属先でのボランティア活動】
同時期に派遣されたPTとモンゴル人の運動療法士と3人で急性期患者から維持期患者までの患者(平均40人/日)のリハビリテーションを実施した。 主な疾患は腰痛、頸椎症(単なる肩こりも含む)、膝関節症、骨折、脳卒中、呼吸器疾患など。 自分でリハビリ室に来られる人はリハビリ室で、そうでない人は病棟を回ってベッドサイドでリハビリを実施した。 当初の技術移転の予定は外れて、ほとんどマンパワーとして活動していた。
画像)運動療法室の様子
画像)運動療法士
医師から処方されるリハビリ回数は5〜6回。 30〜40代の脳卒中患者も珍しくない。 患者の予後を予測しながら、退院後の生活を想定し、自宅で必要となってくる運動や生活上の注意点を指導・訓練した。 OTならではの視点で、調理訓練として包丁の使い方を練習したり、モンゴル料理に欠かせない小麦粉練りを行った。 患者は障害を持って以来初めての活動に、自分の可能性を自覚し、自信につながっていった。 また、退院後に様子を見に行くこともしばしばあった。 私が関わった患者は家族や親戚の協力が得られていることが多く、何とか自宅での役割や生活リズムを作ることが出き、寝たきりにならずに生活されていた。 しかし、その陰では通院もできず、家からも出られずに寝たきりになっている患者が多くいることも確かであり、 一刻も早いリハビリテーションの人材育成はモンゴルの大きな課題であると感じた。
 
私にとってのこの2年間は、異国で生活することの大変さよりも、言葉や宗教、考え方が違っても寄り添うことが出来るんだという発見の連続であった。 他者との関係において最も大切な事は自分の物差しで他人を図らないこと。 そして相手に変化を求める前に、まず自分が変わり受け止めてみる事で目の前の世界がどんどん広がってゆくことを実感した。 これは自分の人生においての財産である。
 
最後に、2年間の活動を遠い日本から応援してくださった多くの方々あってこそ、ここに至ることが出来たことをこの場を借りてお礼を述べさせていただきたい。 日本福祉大学の先生方、同期のみなさん、先輩方本当にありがとうございました。
画像)調理訓練の様子
画像)リハ科での勉強会の様子(対象:医師と看護師)画像)学生を指導している様子

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